ときどきのご褒美

2019年8月22日

仕事しているときとか、ちょっと頭をつかったりして集中しているとき以外は、頭の中はエロいことばかりは昔の話で、いろんな”存在”が浮かんでは消え、浮かんでは消えしています。 精神科にかかると何か病名をつけられるかも。
また、いろんな風景や或いは戦争した場所ならその残影がみえたり、事件がおきたりして要注意な場所ではその光景がフラッシュバックのように映ります。
そんなこんなには慣れているんですが、今日のことです、知り合いからちょっと体調が(ちょっとではなく酷く)悪いとのことで、おやおやと思念を凝らしますと、ある存在の方々がびっちりと憑依しているのが見えます。 どうも祀り落とされた系神様他の御様子です。 ここらあたりから怪しい・・・ おお、いらっしゃるなあ、などと視えましたのでさっそく対処を。 来るべきところからきて帰るべきところに帰りませ、てらなんてら、独自(ここ大事、テストに出ます)の方法や言霊なんでしょうか、思考の型(セルフムドラーということですね)を使ってその憑依されている方から離れて頂きます。 といういうことで、体が軽く楽になりました、という確認をして、はい、お終い。
これはいろんな条件が合う人でないと出来ないので、あしからず。
やれやれ、とか思いながらいると、また頭の中にそれはそれはなんといって良いか、まさしく絵にも描けない、言葉に出来ない美しい光景が広がりました。
敢えて書きますと、眼前に広がる光また光、素晴らしいという表現では足りないだろう壮麗な光が全体的にひろがり、そのなかに聖堂の内部のようなしかし、遠大なるひろさを持った空間が拡張している。その聖堂にはまさりく光でできたダイアモンドのような装飾が施され、光しかないのに軽く濃淡があり、立体感がでている、何千万の色も感じられるようだ、そして壮麗なる光の建造物のイメージか、または曼荼羅とステンドグラスが融合したような、但し絵画のようなものは無くて光だけだが、あらゆるものを現出しているような感じだ。
それがまた宇宙大にひろがり、何層もの聖なるというか至高の光がその聖堂の上から下りてくる、清らかで、最高度に清められた光、偉大なる光とも、愛を超越した壮麗なる思考からの愛があふれているのが光があふれていることの証左といえようか、・・・・
そして、その圧倒的な量と美と何物も侵すことのできない厳とした光を浴びて、祀り落とされた神々が本来のお姿にもどり、大歓喜の内に天上界に戻られます・・・

そんな情景がしばらく続きました。 なお、その前に白衣観音さまが優しく何処かを見つめておられました。 そしていつも来て下さる白色の光を放つ地蔵菩薩様もいらっしゃいました。 お二人とも超美形です。

普段はあまり見えるとやれやれの光景が多いのですが、たまには大パノラマで大スペクタクルで良いものを見せて頂きました。

唯の脳内ファンタジー? そうかもしれませんが、みれますか?