息食浴動‐食 その2 食事法文

2019年8月22日

食事についての祈りの文があります。 生活全般にわたっての作法は大事ですよね。
ご紹介まで。

『涓水(けんすい)一滴も天地の力を尽くし、米粟一粒も万民の労をおさむ。 願わくばこの飯食、色心を荘厳し、仏となりて妙となって法界に充満し、当体蓮華の本仏を証得せん。』

この法文は20歳くらいには覚えたと思います。 食べ物のありがたみがぐっときたときにはしばしば唱えていたようです。
苦しい時でも、さすがにお米が食べられないと言うまでは陥りませんでしたが、この法文を覚え、時に唱えた徳が少しはあったかも、と感謝しております。

ちなみに、現代語訳をしてみると、
『たった一滴の水といえども、この宇宙全体の力が働いて、働き切って現れ出たものである。 そして、今当たり前と思っている目の前の米一粒、(栗の)実一粒と言っても、それには育ててくれた人々の労苦の結晶なのである。 そのように尊き、有りがたき食物をいただき、その食物の功徳により、この身が正しき方法にてこの身、この心そのままで実相真理の世界(嬉し、楽し、美し)に入り、この蓮華世界(美の協奏の状態)にてその能力を十二分に発揮し、わが心の底の底まで浄化して、最高の神を体現した聖に相まみえますように。(それほど食物と言うのは有りがたいのだ)』

と言う事になりましょうか。