神にして加美、幽身・・・
なんだかとっても能力のある方と人の御縁でお会いすることが最近有りました。 現地に着くと両の掌が真っ赤になっています。 えっ、肝臓!? ではなくて、エネルギー感応という感じです。 まあ、毎度のことだが、良い悪いの反応はわからず、強いか弱いかの判断のみ。
さて、そこでほとんど何かと感応してその存在の言葉を発しているらしく、自分の意識を失わないのは良いです。 意識をのっとられてチャネリングという人が多いけど、ほめられたものじゃあ、ないですよ。 自分をなくさないようにしよう。 別に霊のために生まれてきたんじゃあないでしょう。
さあ、それはともかくその話の中でだんだん調子に乗って、神とは何かということで、いろいろな漢字を当てられることのお話しがありました。 神、上、加美、そして幽身・・・と古来よりいろいろ表現の仕方がありますが、本来は何の字も当てられないのでしょうが、神、と言う字をあてようということらしいですね。 示す申すといういみで、何を?ということになります。
だから、something greatとか、何事がわからねどありがたさに涙こぼるる”存在”というような感情に訴える”何かしら偉大にして清浄なる上の存在(としかいいようがない)”ということでしょうか。 ちなみにヨーガ関連ではネイティネイティというのがその表現で、いうならば表現できませんという自己矛盾表現だ。 それに対して人間的な神々の名前がインドの神話に入るのが人々の精神の特徴をあらわしているようで楽しい。
そして、現世と幽世(あの世)との往還ということになって、あの世で肉体がなくて、神が幽身であれば、あれ、と言うならば人の可能性もあるな、とか思います。 ただし、幽世が母集団みたいだから、隠れている身であってこの世に干渉というか、指導というかいただける存在で、絶対、ということはない。 でも偉大なのは知っているという感じかな、といろいろ考えました。
こんな考えだから、神の僕が私の幸せとか言っている人たちとはぜんぜん話が合いません。 しかし、無神論の感覚隔絶にして思考停止状態も同情を禁じえない。 (感覚が鈍い、という意味。ただしこの世での力は強し。)
それと、調子に乗って、大祓詞のフトノリトゴトとはなんでしょうか、とだれも教えてくれないか秘言といって隠されているものを、ああそれはね、とサクッとお話いただきました。 それは絶対というものでなく、時代によっても変化というか複数の中でどれを選ぶかの違いというのは新しい発見。感謝。でも私もこれは秘密にしよう。
まとまらない日記でした。
コメント
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません