息食浴動‐食

2019年8月22日

肉体の道の続きです。
カスミを食べて生きてはいけませんので、肉体組織(精神組織も含む)の維持・発展、活動のエネルギーを得るために水や食物を必然的に摂らなければいけないのです。
では何をいつどのようにどのくらい食べたらよいのでしょうか。 個々人による違いがある、が最終着陸地点ですが、その前の皆に共通項はなんでしょうか。
尚、個々人の違いは存外大きく、なになにを食べるなとか食べろとかの強制はよろしくないのであります。 それはともかく;

①禁食
兎に角毒を食べないです。 腐敗菌よる腐ったものや、自己防衛のための毒(毒キノコとか)や、海洋生物の敵や捕食のためにだす毒、煙草の毒、麻薬の毒、怪しげなホルモン剤とか食品添加物などの毒、化学物質などの毒等など暮らしには考えるとありとあらゆる毒や口にするのは必ず禁止、のものがあふれているようです。
だから、食物に関してはこれくらいは大丈夫でなくて、もし大丈夫でも身体は大いに防衛活動で意味はなくくたびれてしまいますので、やはり毒は食べぬことです。
そして、怖いのは薬害です。 味方と思ったらその実は敵でしたということもよく言われます。 ただし、安直な知識では判断できないのは当然ですが、売るために嘘は言わぬも本当を言わない、と言う事があるようです。
考えたら口紅なんかの化粧品も身体に良くないようですが、他の議論があるでしょうが、少し考えたら良いのでは、と思います。

②食べすぎない
食べ過ぎないのは消化能力を越えぬようにすることですが、精神的欠乏を満たすために食べすぎたりもするようにたり、何かとついつい人は食べ過ぎるようです。 また、自己保存の本能と恐怖もその食べ過ぎの原因のひとつのようです。 ただし、今の日本でどこでも食べ物が手に入るような世界ではややこの意味はうすれているでしょう。 (お金は必要ですけどね。)
そして食べ過ぎは自己中毒を起こし、とんだうっかりだ、と言う事です。
世の中の移り変わりがありますので、一概には言えませんが、一日4回も5回も食べるのは、昔の人から考えたらセンスは落ちる可能性大です。 簡単な話で、肉体は常に消化活動にまい進しているからです。 でもついつい・・・は皆の悩みでしょう。
ある意見として、100歳以下で死ぬのは自殺と変わりない、それは大抵自家中毒を起こしているのだ、と言うものがあります。 なるほどなるほどです。

③全体食
例えば人参。 スライスしたり千切りにしたり、角切り等々と調理して葉っぱや根っこは、生ごみへというところでしょう。 しかし、これは本当はもったいない。 全てを食べてこその”人参”です。 全体を食べるべきであります。 部分だと人参の部分ですから不十分であります。
全体食は、魚も動物もそうですが、頭から食べられないものばかりです。 よって、小魚とか貝とかが全体として食べやすく、穀物の種子は玄米もそうですが、食べやすいものです。 (調理は簡単とは言いにくいですけど。) 果物、豆類、芋類もそうです。 ただし、ポストハーベストのないもの、つまり輸送距離の短いもの、つまり地産地消、ということになります。

④生食
端的にいえば野菜を生で食べましょう、です。 本当は肉も魚も生が良いのですが、まずは野菜です。 調理をするとビタミン含有量などがガタ落ちになるそうです。 (ビタミンEは別など、簡単ではないようですが)

以上が息食浴動のうちの”食”ですが、そうは言っても、それほどこれはダメ、あれはダメということはないし、個人差が大きいので生野菜なんかは言っている私は苦手ですから、本来の目的がかなえば何がなんでもダメ、と言う事はないと思います。
割って言えば健康を真に求める精神と肉体で有れば、身体に不要なものは摂らないものだし、調理をどんどんした方が良いかもしれません。 また上記を普通の生活で行うのはかなり厳しいでしょう。 よって、個人差とは真に肉体の健康を目指す身体をつくれという課題になります。
何を食べ何を飲むと悩むなかれ、と言う事でしょう。

しかし、上記は何とか人間に健康になってほしいという人体実験の結果と言えなくもないですから、愛行であります。