息食浴動‐浴

2019年8月22日

肉体の4つの基本法則(健康になるための)がだいぶあきましたが、第3の方法である、”浴”であります。
”浴”というと、浴室とか浴槽とか水浴びなどを思い出しますが、日光浴というのもあります。 そう、”浴”の目指すところは、実は”皮膚を鍛える”お道なのであります。

この道は常に陰陽がそろい、また安定するために四肢としての説明がされております。 そして、ここでは陰陽は、内皮と外皮の相乗効果であります。

そして、その四肢となる方法の内容は、

1)摩: 皮膚を摩擦して体温調整能力を上げよ
2)光: 日光浴(日・陽を浴びよ)で造骨、造血能力を上げよ
3)水: 水浴(温・冷)でガス交換をより良くせよ
4)風: 浴にて裸になり、皮膚からの排泄を向上させよ

この行法を考えるときに、人間の構造を考えたら理解が深まります。
よ~く考えたら、人間はいろいろありますが”管”なのであります。 口と肛門一本の管でつながっており、まるでちくわの如し、 そのちくわ状態に手とか足とか頭とかついているといえますね。
”菌”の構造とおなじですよ、基本が。 これを聞いたときはなるほどとか、もうちょっとえらいだろうとか思っていましたから、あるい意味がっかりしましたが、冷静にならればそうかなと。 しかし、これが皮膚は内臓とつながっているという意味でもありますから、この皮膚道の言わんとしたなのです。

さて、さらにこの道の具体的内容は以下のようです。

摩:
摩とは摩擦の略であり、皮膚をタオルとかの刺激になるもので摩擦して鍛えましょうと言うことです。 ただし、皮膚がすりむけるほどする必要はなく、気持ちが良い、ところがその人向けの行法程度です。 自分の手でこするだけでも問題ないです。 物足りなくなったら、やや摩擦になるものを使えば良いでしょう。
なお、無理は厳禁で強すぎる摩擦も同じく厳禁。 気分が優れないときはやらない。
このように気をつけるのは、内臓と直結しているからです。
基本は手先、足先の”端”から中心部の心臓に向かって摩ります。

しつこいですけど、管たる肉体です。 無理は絶対に禁止。

光:
具体的にはお日様の光を浴びることです。 ただし、文明盛んになりて病(の種類)多しですが、紫外線に敏感な人や、または光そのものにも敏感な人がいます。 人として生まれてお日様に当たれないのは気の毒ですが、これも無理は厳禁です。
日光浴の目的のひとつは、体内ビタミンDの合成であり、つまりは骨を強くするのが本来の目的です。 北極圏のご婦人は一年の内の半年は妊娠が難しいとのことです。 胎児に必要なカルシュウムが太陽の光が弱いため作れないからではないか、との説もあります。
そして、太陽の光は殺菌の効果もあります。 皮膚についた菌も、その皮膚が深く接触する寝具などは太陽のお力にて殺菌を行うべきでしょう。
窓を開ければ直接外で浴びなくても輻射光で十分効果ありのようです。

水:
水浴です。 冷水と温水の両方です。 なぜ水を浴びるかというと、服を着るからです。 人間は自然の産物ですが、反自然的なことも知識を得るためにやります。 それはたびたび人工的な技法をつかうのですが、やはり原始の状態に戻る必要があります。 それは、単純な汚れを落とすということが主題ですが、他のさまざまな効能があるのが”水浴”であります。

皮膚は呼吸をし、排泄をしているのです。 その表面を覆う余分な皮脂や汚れを水の力で取るのであります。 刺激もありますから当然さっぱりします。

なお、温水と冷水を交互に浴びる方法があります。 温冷浴法と呼ぶ。 もとはインドのヨーガよりの方法です。 またヨーガの発展的な教説である仏教でも、この方法は、仏陀が誕生されたときに、温と冷を意味する二体の龍(イダ龍王、ビンガラ龍王)がのちに仏陀になる太子に、温水と冷水を交互にかけて祝福した、とのお経もあります。
かけられた太子は、”その身黄金色に輝いて、三千世界を普く照らす”とあります。
効果のほどはいかばかりか、と思われます。

これは氷水と熱湯風呂みたいなのでは体に衝撃が大きすぎるので、体温程度からはじめて少しづつ、熱くまた冷たくすれば、良いでしょう。
まあ、サウナで水風呂、という”男のやり方”もありますけど。自信のある方のみ。

これもしつこいですが、無理は厳禁。

風:
実は、服を着ているのは文明人の証のような感じですが、本当は本能的には良くないのです。 皮膚は排泄と呼吸をする、というものですので、特にピッタリした服はあまりほめられたものではありませんが、社会生活のためには時には必要でしょう。
だから時々、その皮膚が排出するものを、服を脱いで風に当たりましょうというものです。 ただし、服を脱ぐといっても、脱衣20秒、着衣60秒というような時間からスタートしてそれぞれの比率を変えないで、脱衣の時間を増やす行法です。
ずっと裸で居ましょうというのではないですから、誤解の無いように。 既に着衣の生活習慣が習慣化していますから、これを変えるのは意外と難しい面があるでしょう。

以上が息食浴動のうちの浴でした。