ついに出家?? って無いよ。

2019年8月22日

この前、知り合って間もない僧侶の方から、寺を継がんかね? というありがたいお話がありました。 2回しか会ってないのになあ。 また私は普通の在家なのになあ。
私が理屈をこねているのをお聞きになったそうで、また自分のWEBにアップしている宗教のまとめ(まだまだ未完成)もご覧になったそうで。 もともと四年制大学で社会人生活をされているので当方の現状もお分かりに成るとの事で。

しか~し。 びっくり話ですが、宗派の中にはいるのがどうも苦手。 仏教だからある経典を典拠として論を張るのですが、どれも一部分に思える。 この経典が一番と要っても、そりゃ釈尊の金口から出てないでしょうとか、不遜な事を思います。
仏教は意外と科学ですから、もともと宗教とも言えずに既存の宗教に取り込まれていったものですからねえ。 仏という神を信仰している面もあり、日本仏教は日本にしかなくて、インドには無い形態です。 また科学だから天文学とか物理学とか心理学とか歴史学とか数学とか音楽とか、いろいろなものを取り込んで生きたい/行きたいなと考えております。 なんて無謀な事を…

でも理想はたいてい書生論で、現実こそがそれこそ現実だ。 神道との関係や土着の風俗から仏教は葬式を担当していますが、どう考えてもこれは儒教的な儀礼だ。 でも人々の要望と必要性があってこそ今の形や機能を果たしているのでしょう。
だから時々時代との齟齬がうまれて、既存宗教は死んだ、とか言われて新興宗教がうまれるわけですが、それもまた意味があります。 また既存宗教の存在価値が一挙になくなるわけでも無し。
大体今の三大宗教と言っても、ある意味悠久な時代を考えると新興宗教です。
スピ系も書くことがなくなって、仏教とか地域の独自の宗教とかを換骨奪胎してまるで自分の説ですと言っておりますが、これを越罪というのですが、まあそんな目くじらを立てることも無いのかもです。

月(真理)を指す指ばかりをそれこそ信仰したりすることが多いですが、それはあくまでも方便ですね。 宗派もそれに近いような気がします。 方便もまたそれは真理、煩悩即菩提ということかも。

まとまりがつきませんが、そんなことでちょっぴり悩んでいます。
しかしビジネス界といっては大げさですが、成功も希望しそれなりの活動もしつつある現状です。 仕事も案外面白いことがありますからね。(しなけりゃご飯が食べられないという切実な話があるのは当然です。)