なぜ上がれるのか、求めるのか

2019年8月22日

なぜ上がれるのかといっても、凧上げでも、タコのから揚げでもなく、死んでからあの世に行く場合、漢訳のお経がなぜ効果があるか、なかなか分からず、調べたりしておりました。 その時に、仮説をたてましたが、なにか指導する霊や神仏またはその眷族神霊が呼応してくれるのではないか、というものでした。

そして、最近、よく言ってますが、求めに応じて答えはそこかしこにあるもので、ある密教僧による書き物に一つの結論的なもの、こちらも叩頭できる内容、を発見。 予測正解。

たとえば私は今の段階では般若心経しか使えませんが、このお経を唱えてくれと、しゅっう未成仏霊が集まります。 ちなみに最近では最高記録いっぺんに420体の霊が来たぞな。 最近はやたらと体がかゆくなるのでちょっと耐えがたいのです。 それで対処するとまったくかゆみがなくなります。 心理的な作用とかプラシーボとか、いえないでしょう。

そして、唱えるんですが、その際に、やはり天界からお経に呼応した神霊が降りてきたいただけるか他の方法で対象の霊に働きかけてくるみたいです。

それで、やっている本人はある事をイメージしているんですが、成仏または帰天をさせた上げて下さいと、天に結果としておねがいている訳です。
その霊の状態とか、分類というか性質というかに伴って、妖怪化しているのは手がでないので、そんな場合は強力なサポートがあるわけでしょう。 私の場合は、supported by kSiti gharbha、てな感じで別に英語でいわなくてもよいですが、お地蔵さまです。 何度もお姿を見ていますが、恨み骨髄みたいな霊には私じゃあ無理なので、これがまた不思議で自動的に来ていただけます。 感謝

西洋でも神霊を、callingすると言っているみたいで洋の東西を問わないようだ。 そして、呼応する言葉や文書というかがたとえば般若心経だったり、観音経だったりするわけのよう。 神道にも祝詞かそれに類するものがあるはずですが、また次の段階で使えるようになるらしい。 (今は知らない) つまりキーとなる言葉、文がお経である、ということです。 古の人類代表の聖人と天界とのお約束、ということみたいです。

さて、前にも書いていますが、これだけ般若心経を唱えると当然意味をしりたいということになります。 もともと仏教ずきですので、そんな本ばかりよんでいるんでます。 空だとか、ひたすら否定の自由な世界とか、何もきにるすなとかいろいろ。
それで、いろいろ見聞し勉強すると、正しい解釈は、真言宗の僧侶(全部が同じかはわかないが)が持たれているもので、宗祖弘法大師空海の解釈であろう、と。 さすが日本の宝。

結論的には、これはもともと”般若心”であって、経は後付け。 真言の大事を説明しており、その真言の繰り返し(ジャバという, コンピュータとは関係なし)により般若波羅蜜多を得ることこそが要諦。 その真言こそがギャーティ、ギャーティ・・・のところであります。 そして般若波羅蜜多(完成した智慧)によってここでは霊性のまたは悟りの境地を上げることを目標にしている。 空を説くお経とかよく言われるが、これは浅い解釈で強く言えば間違いだろう。 尚、般若波羅蜜多とはついに仏母とよばれる。
そもそも、仏教の基本定理である”涅槃”は、何もない氷の世界のように感じてしまうが、本来は”覆いかぶさるものの無い状態”である。 これは言語のニルヴァーナという単語の誤訳からきている。
と根本的な問題を含みつつも般若心経は成立している訳です。空も2種類あるようだし、これはまた。

となるとですねえ、納得できるのですが、霊体となっても自分の霊性を上げる経典を自らのために唱えてほしい、それこそこの世に生まれた甲斐があるものだ、と期待する、と考えられないでしょうか。 それで迎えの方がいらっしゃるということにつながるわけです。

私も、「MUちゃん、お経が欲しいって何体もついてきてるわよ」、とか何百回も散々に言われて、経が欲しい、まあ、有り難いからかな、でも意味分からんなあということの長年の私の疑問も解けたわけです。 答えはやはり自分で探すもの。 それはさておき・・・

尚、狭い経験ですが、唱える人によってその使えるお経が違うみたいですが、法華経とかその中の観音経とか、または密教系とかで神霊に直接頼みのもあるかもしれないし、別に経の体裁をとらない、詞のようなものもあるかも。 またひたすら座禅をして慰霊したというのもあるし。 まあ、だからキリスト教の牧師や神父の説教みたいなのも力があるということになる。
ちなみに系統が違うかもしれないが、念仏はなんだか賛否があるんですよ。正しいかどうかは別として。 でも、他がだめでも念仏者が唯一対処できたという祐天上人の例もあるしね。(累ヶ淵) まあ詳しくは今後分かるんだろう。

てなことでたまに吐きだししないと、という日記。

尚、”真言”は本当はサンスクリットでないと効果がうすいみたいですが、本格的な修行者でない一般の人の我々はやめておいたほうが無難みたいです。 それとまだ分かっていませんが、callingできるまではそれなりに練習の期間とたぶん苦痛が待っているようです。 例外は常にありますが、私はごく標準タイプでした。

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