お地蔵様

2019年8月22日

日曜日にTV東京で昔話の番組があったので何とはなしに観ていると、お地蔵様を題材にした話がありました。 幼い子供が父親の新しいお嫁さん、つまり継母に最初は大事にされていたが、その内に赤ん坊が出来たら、徐々に冷遇され遂には般若の面のごとき怖い顔に・・・ と言っても虐待はしないでしたが、子供はかなしくて家から離れた川辺にあるお地蔵さんのところに通って安らぎを得ていた。
そうしていてもお腹は減るのでこっそりと家の御櫃からご飯をこっそりいただくと、それを運悪く継母にみつかり、”ならばこの握り飯をお地蔵さんにくわせてみよ。そうしたらお前にもやろう”と無理難題を。 ならばと、その子は川辺のお地蔵さんのところに行って、その握り飯を差し出すと、なんと石の地蔵さんがぺろりと食べなすった。  ああ、これで私も握り飯が食えると安心して事の顛末を件の継母に話すとやはり信用しない。 いや、ちゃんと食べなすった、と言っても認めない、そして般若面のように。 そしてまだ有った握り飯をもたせて再度地蔵さまにあげてみよ、とその子が承知して外に出て行くとそのあとを継母が追いかける。
川辺の地蔵さんに握り飯を差し出すと、その時に、お地蔵さんは事の仔細をたちまちに諒解され、気の毒にの、と言って涙を流されました。 そして動くはずのない石の身体の腕が動いてその子をしっかりと抱きしめるとその子は安心してにっこりとほほ笑むのです。 その一部始終を後をつけてきた継母が知ることとなり、よきかな、深く反省をしてどの子も自分の子として愛し育てることをお地蔵さまに誓うのでありました。 そしてその親子は愛情深くいつまでも幸せに暮らしました。

という物語です。 この中で”涙を流す”という件がありますが、私の拙い霊界探訪というか強制経験と言うか、本当にそうだと思います。 ここは強く感じる。 しょうもない私なんかにでも心を砕いてくださっているのか、とうすうす感じることの有るのですから。 数多くいらっしゃる神仏や様々な霊存在の中でお地蔵様ほど優しい方はいらっしゃらないように思います。
みなさん、”役割”とのことですが、まあ人間は感情の生き物ですからねえ。
ちなみに、死神、なんて存在もいらっしゃいますが、死んだら迷わないように導いているのだ、と手続きにのっとっているのだと言うことみたいです。 でかい鎌をもった西洋風の修道士の頭から覆うコートというか衣装を着ているといことではなく、もっと高潔な感じですね。 最初は各人間のイメージ通りに現れるらしい。
で、要するに”役目”なのだ、と言うことみたいです。

ところでお地蔵様ですが、もともとシャーキャ仏(お釈迦様の事)亡きあと、弥勒(マイトレイヤー、まあキリストの本体の事だろう)が仏陀としてこの現世というか瞻部州というかのこの世に生まれるまでに、この世ばかりか地獄から天まで迷い苦しむ存在達を正しく救い、悟りに導く働きをされているという滅茶苦茶忙しくて辛い仕事をされる超偉大なる神霊です。
こんな話をすると単なるお伽噺と言う方もいらっしゃいますが、まあ素直に感じてみてほしいものです。 心の寄る辺として幸せならば良いじゃないか。

なお、今までの経験から、お地蔵さまが迷える人間の霊達のなかで、酷い恨みや暗い重い想いだったりすると、その方たちの御供養をへたれながら何とかやっている私とか他のもっとちゃんとした人たちの援助を能動的にやられることが多々あるようです。感謝。
しかし、まさしく世間に流布するあの御姿で霊獣にのり、光り輝くその御身を何度か拝見した事だけでも感謝のはずですが、辛いとついつい何とか御救いください(私はまだそんなもの)と言うのでした。

そんで、この貴い神霊からのお諭はある意味簡単です。
”苦しくとも辛くともいつもニコニコ笑顔で、あなたの毎日を大切に生きなさいよ。困ったことは地蔵に聞かせよ。 助かれば守護の神仏に感謝せよ。”
です。
あくまでも自分(地蔵)は後回しで、あなたや地球の存在が大切で大好きなようです。

まあ、難しい話(好きだけど)はとりあえず無しで感じたままを書いた次第。