近づけば近づくほど遠い

2019年8月22日

前の日記で、近づけば近づくほど遠い、という趣旨の事を書いて、自分のためにもまたこのことをまとめようかと思いました。

たとえば、こんな例。

『親の仇をとりとうございます。先生、剣を教えてください。』

『うむ、分かった。 殊勝な心掛けである。』

『真剣に取り組みます。 何年かかるでしょうか。』

『うむ、3年じゃ。』

『3年とは長うございます。 一層努力いたします。』

『なるほど。 ならば5年』

『いや、身命を賭して学びます。』

『なに、身命と賭すとな。 しからば10年』

論理的に矛盾しているような感じでしょうが、なかなか面白いでしょう。 吉川英治さんの宮本武蔵からの一節です。 何年、と答えている方が武蔵ね。

他の例として、
ある日、仏陀のお弟子である目連尊者が仏陀の頭の頂にある”こぶ”みたいなものは何だろうと思い、ならばと神通力で上から見てみようとされました。
それで空中に浮かんでみると仏陀の頭はまだ上でした。 あれ、と思うもさらに神力を出して上に上がります。 しかしまだ上にしか仏陀の頭は無く、頂は到底見れません。 ならば、という事でずんずんと上に上がっていきます。 そしてふと気付くととんでもなく上の方に来ていて、”お師匠様。おろしてください”と。

みずからが修行が進めば進むほど、師匠の偉大さがわかると言う例です。 まあ、変な事に悪用されかねないような感じですが、”上に”あったのを弟子が理解していますから、世の新興宗教では難しいかな。

だから美の本質がわかってどうしようもなく高い美があり自分の到達が自信がなくなるとして芸術家やめましたとか、言うのはある意味それなりの説得力がありますよね。
でもその後に、ヘタレたり自虐的になったりするのも常のようです。 この辺りが人類総体への課題かも知れません。