浄土へ、強制的に

2019年8月22日

今の支那は一党独裁ですから多様な価値を認めないようです。 よって、多くの民族が、ですから、生活様式や宗教などが違って相いれない模様。 悲劇多数であります。

さて、また仏教のお話。 尚、これは歴史と地域と民族という要因が違えば、徐々に変化をしていったのであります。

チベット固有の宗教(土着宗教)とインドというかネパールと言うか発祥の仏教が融合してチベット仏教が出来ております。 中身は細かい話になるので辞めておいて、このいわば外国宗教が流入してどのようにこの地に根付いたかを考えるとき、やはり団体運営やその競争と言うのが必然的に生まれるのであります。

中村雅彦さんという元愛媛大学の教授で今は稲荷大神を祀る拝み屋と自称されているようですが、その方の本やWEBみても、四国ではまだいわゆるサイキックウォーズ、拝み拝まれ、もっと言うと呪い呪われという世界はまだある、とのこと。
そこで、チベットなのですが、弟子入りをするときも全財産を師に差し出すようで、いわばあと戻り不可の状態に自分を追い込むのですが、それでもって各種の真言や修法などをマンツーマンで教えてくれるようです。

それはそれとして、そうまでして自分の信者というか、信奉者や病気治し運命鑑定、作物の豊作凶作の吉凶占いとか、または天候変更など、といった人生よろず相談を行うわけです。
それでうまい具合にバランスが社会的に取れればよいにですが、修法者同士の争いが起きるようです。 この場合、ある修法者はダキニ天を使い相手に損害を与える、またある修法者は大威徳明王、または文殊菩薩の憤怒相であるバジャラバイラバーに祈りをささげる、と言う事をして、それこそサイキックウォーを行うのです。
そして、ついには強制的に浄土に連れていく(簡単に言えば呪殺する)と言う事を行うようです。 これを度脱と言います。 まあ言葉はどうでもよいですが、原義が異なる”ポア(意識を転向させる)”の本来の意味はこれです。
通常の仏教というか一般的には、密教側からは、大日如来が中心に曼荼羅などによってその宇宙館、世界観を示していますが、チベット密教では文殊菩薩が中心尊の役割を果たすようです。
よって、浄土とはいろいろありますが、文殊浄土へのいうのが通例らしい。
地獄には送らないようですが、強制であることは確かのようです。

ちなみに、上記の怒れる尊達は、やはりクンダリーニ(この場合は性の力)を十分に使っており、明妃という女尊を抱いているのであります。 迫力満点です。 陰陽合一こその力がないと人様をどうこうしようなどは無理でしょう。(相手は防御するし)

上記の話はだからチベットは”解放”されるべき、ではなく、真逆で、かような独特の発展を遂げた思想体系、修行体系、生活様式は今後の指針を出していただけるかもしれないし、インド発生の仏教が、ヒンズーや、様々な宗教とまじりあい発展、適合していったという経過は大いなる人類の宝であります。

度脱などという覚えなくてもよい言葉ですが、人間の暗黒面を見ずして真の平和は個人的にも社会的も無い。 綺麗事とか偽善(ついでの偽悪)の出来る範囲は狭いものです。

ところで、タイガーウッズなんて、別にいいじゃないと言うかだいたい誰に誤っているのかよくわかりません。 開き直ってりゃあ良いと思うのは男の勝手で言い過ぎかもですが。 そこはそれ、偽善の塊みたいな事言わないといけないのですね。(本当にそう思っていたらすまんね) ついでに言うと、東京裁判開いた国だし。また原爆落として、東京、大阪大空襲して非戦闘員をさんざん殺しておいて、支那と組んでその殺した数より南京で日本が殺した事にしておかないと都合が悪いとか小細工をして、一言も謝らないから、いびつなものだ。最後は政治ネタ。 (ちょっとすっきり。)

これ考えると呪殺何てかわいいもの、とか思うのは言葉が過ぎましたでしょうか。 まあ、多分そうでしょう。 いや、いや、自然災害で一挙に、と言うのがあったから。 おっと、やはり怖いものです。 畏敬すべきものであります。