天空の門

2019年8月22日

来年は伊勢と出雲の大遷宮があります。 20年ごとに出雲大社、60年ごとに伊勢神宮の遷宮が奇しくも重なったということになるようです。

さて、夏ごろから出雲にずっと意識が向けられています。 そして今日の体験はまた特別なもの。 この前に別の印象深い体験もあったのですが、これはまた別途。

霊、と言ってもいろんなとらえ方があり、そもそも肉体もコーザル体とか、エーテル体、アストラル体、メンタル体などなど7つの種類をみな人間はもっているようです。 霊の体、という考え方もありますね。 そしてこれは深い思想がありまた一部からは人間を段階で区分する危険思想とかいう指摘もあります。 それはさておき、では霊体として神や悪魔や龍や鬼といった、今としてはなかなかその存在を信じにくい時節柄どうか、と言うことになります。 どの肉体をもってどの肉体をもっていないのか、という興味深い話となります。

さて、人間と幽世とかあの世では時間の感覚が違うとよく聞きます。 その時間のとらえ方の違いより何世にも人間と神仏の関係の結果と影響があったり、神々同士のどうも競合といいますか意見の対立あるようです。 霊界も段階は極めて多層のようであり、絶対平安みたいな層もあるかもしれませんが、人間の意識と肉体はさてとどくのか。
そこで私のような霊媒体質には神々の衝突に先祖の代からの余波がずっと続くようです。 それに気がつくまでずっとなんらかの現象が起こります。 手紙とかでとどくよいのですがね、 この際は恐怖新聞でも???それはやっぱり勘弁だ。

どうもいろんな事がなかなかうまくいかないという時にやるべきことや気づくべき事柄が大抵と言うか実際は100%あります。 今回は物部神社。 島根県にある神社で昔どうしてもいかねばならないと言ってさんざん日記に書いたものです。 そう言えば、ここ数週間には、物部氏とかこの神社の祭神であるニギハヤヒ大神などに関して書かれたサイトや書物などがたびたび目に飛び込んでおりました。 今考えるとお報せだったのでしょう。

前回の神社参拝では分からなかったことが今日どうも分かった訳ですが。 それは神話は伝記にあるこの神社というか祭神の集団と他の神々の集団、ニギハヤヒとなると深刻な対立相が見えますがここでは詮索すまい。

或る気付きがあると話し合いがされるのかどうか、そこはまだ秘密らしいですが、対立にかんすることが一つ解決したようです。 そして次に始まるは、(脳内情景と実際の肉体状況描写です。が全部空想とも言えなくはないでしょう。悪しからず)

天空に神々しい光に包まれた門扉のようなものが現れる。 あっ、これは!と注視していると、扉が厳かに観音開きで開く。 なかに三体の人間のような巨人のような、そう、デイダラボッチが近しいでしょう、が現れた。 色は黄金色であたりに光を放つ。 そして天空のその扉を通ってゆっくりとこちらに近づく、ゆっくりと体を左右に揺らしながら。 恐怖感は皆無。 気づくと周りを囲まれた。 そして光がこちらに注がれる、注がれる。体が楽になる、頭がクリアになる・・・そして、次には以前もあったが背中から黒い光沢のある墨のような杭状になった何かしらを抜かれる、背中がぐっと引きずられる、ぐいぐいと後ろに引っ張られる。 そしてすぽんと、その黒い杭見たいなものが抜けてさらに黒いシート状のものも引き抜かれた。 体がすっきりだ。

ほっとして、上を見ると天空の扉は開いたままで、中にはこんどは数多くのぎっしりと並んだ神々、眷族神や、ともに祭られている神々らしい、そしてその集団となってこっちを見ている。 笑っているような感じを受ける。 そして後ろにうっすらと主たる祭神の大きなお姿?がうかがい知れる感じです。

その後デイダラボッチの形態の神々は天空を抜けてその扉の向こうに去っていきましたが、入れ替わりにこれまた光り輝く鳥、朱雀、が頭の上に飛来しました、 しばらく一緒にいてくれるらしい。 なにかよいことが起こるでしょう、と期待して。 (でもKFCが食べにくくなった。)

出雲と伊勢というかヤマトには因縁深いようで歴史的な対立もこれは人間世界であったのは確実でしょう。 本当の統べる神はどなたか、とはいろんな論争があります。 はたして天照大神なのか天照皇大神か、または出雲系の大物主大神なのか、それともニギヒヤヒ大神…
これらはまた今度じっくり考えるとして、単純に神話の物語または人間の世界の擬人化の結果などという事ではなく、現実感覚となる人もいるようですよ。

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イイ