サンバにシャンティ!そしてトランスへ?

2019年8月22日

少し前に、家の近くの地元のお祭りでサンバダンスがあると聞き及びまして、これは行かざるを得まい。 各々方遅参めされるな・・・と周囲に固くいいつけ、はうそでいつものお一人様。 近くに友達なんぞいやしませんしね。 そして、サンバねぇ、へえ、こんなところで有るんだぐらいの感じです。
浅草のサンバカーニバルとか一度いってみたい!とおもうも、夏が例の霊のだからなかなかきつい季節で、いつも、「浅草の国際通りでサンバカーニバルが・・・」と終わった記事ばかり目にして、夏が終わった・・・などと感慨にふけるのであります。 リオは遠いな、と。

てなことはさておき、駅に着くと笛と太鼓の洪水だ。 日本人らしく、踊ったり楽器鳴らしたりするひとはテンションマックス!という感じでおどったり爆音を響かせているのでありますが、周りの観客はひたすらカメラ!ビデオ!とおとなしく興奮しているのであります。 奇声なんてあげないよな。 それはこちらも同じですけど。

しかし南米というかラテンの踊りはエキサイトで生命の喜びを爆発させているようです。 サンバをいっぺんに好きになりましたね。

うれしいから踊る、そして踊るとうれしくなるからまた激しく踊り、周りでは早くて高い音がさらに高揚感を上げるの循環ですね、と分析癖。 一緒にええじゃないか、とは行かないのでかるく音楽に合わせてかるく体を揺らすくらいなのでした。

そして・・・
涅槃寂静と法印にいきなり飛ぶのですが、生命の喜び、宇宙の大義や愛を知り肉体舟のこのからだの機能を最大値にして、さらに内的身体である霊位を何段にも上げることが”悟り”なんでしょうが、それはシーンとした平和だけど何の生命感もない、絶対無音の世界を理想とするのはどうなんだろう、それこそ彼の地の人々は、”シャンティ、シャンティ!・・”と喜びを大爆発させて言霊を大発生させている。 手を上挙げ歓喜の涙を拭かず喜び踊りまくったと”悟り”を開いという方々の記録もあります。 でも、それが本当なんだろう・・・
じゃあ、普段から踊っておけ!というのもありですかね。 だから人は踊るのだ、悟った後の練習だ!とかいろいろ試行し思考するのであります、
涅槃寂静・・・それもありかもしれないが、自由自在の喜びはもっとエキサイティングなのでしょうかね。 これは”常識は疑え”教の教徒ですのでこれはこれで発見なのだろう。
これは般若心経の真言もそうですよね。 ギャーティー・・・の部分ですが、この上ない智慧に達した、うれしい!と取るのが正しかろうといろいろ教えてもらって思うことです。

やはり最後は”らしく”なってしまった。宗教は封印とかいわれておりますが、思想や新しい知識はいれず、過去の情報をもっての感想なら許されるだろうという考えで。
(ナンダナンダモンダイバッカリ。クッソウイライラスルゼ、コンナトキハセクシーニオドリマクルオネエサンヲミルニカギルゼ!トイウホンネ(?)ノボンノウマルダシケイキダガ、イガイトカンドウトコウショウナハナシニイッタノデアリマス)