補助線

2019年8月22日

今ある人に触発されてまた仏教の勉強、復習をしておりますが、やはり分かっていない、ところが発見できます。

政治的な話でも、自分が”常識は疑え”とか言っていますが、自分の”常識”、つまり理解の型はなかなか堅固で柔軟性がありません。

そこでふと考えるに、因果の法、これはいわゆるスピ系の欧米の方々が換骨奪胎(見たらすごい語句だ)したもの、引き寄せの法則とか言い換えており、なんだよ焼きなましかと言うことが多し。 ヨーロッパの哲学者たちは自分で必死に考えたら仏典に書いてあった、がっくしとか多いと聞いております。まだ正直。
それはさておき、一方縁起の法、因果の法と同じかなと思いもしますが、敢えて違いがあると考えるといろいろ納得できることがあります。
縁起は12縁起としてまとめられています。 無明(と訳してある)から老死の関連性を説いております。
ここで違いを考えるならば、因果の法は時間軸に展開される事象を説いておりますが、縁起は絶対的な関係を説いているようです。時間を超越しそうであるかです。 つまり、A=B はイコール(同じ)とも読めますが、(代入)とも取れますね。
となるとA ≡Bの場合はどうとらえるか。 これこそが縁起ではないかと考えております。 時間の影響を受けない状態。

これが生じるから彼が生じる。これが滅するから彼が滅する。(雑阿含経) の意味。

因果だとこれが生じるから彼が生じる、(しかし)これが滅するから彼が滅するとは限らない。 但し時間的に無常なのでいつかは滅する、直接的な関係はない、と読めるだろうなと思った次第。

そうするといろいろ矛盾が取れることがありそうなのです。 肉体と霊体の各種の関係や不思議系並びに人間界のいろんな御存在も説明ができそうです。
なんで時間を超えた存在がいるのかと言う説明がなりたつのかな、と。 空間についてははまだ分からんですが。

仏教とぴとかで書くと超面倒なので思いついたまたここに書こうかと。 いやあ、思考も補助線みたいなものを考えると意外とまとまるもんですね。