方向性とその理由

2019年8月22日

この世の成り立ちと言うものを考え、存在理由を考えると次はその実現方法を考えるのであります。

宇宙の元のは宇宙卵と言いましたが、始源の話であります。 人間の肉体は親からですが、親の親の親をたどってもわかりませんが、あるたんぱく質がDNAプログラムを終えて分裂を重ねて、ついには単細胞生物から多細胞生物になり、ついには今の人の形になったというのはひとつの説として説得力はあります。 その仮定を証してくれそうなのが、神道のヒフミヨイムナヤコトという祝詞です。 これは、ヒ(霊、日、太陽)からフ(風、大気)・・・と続き、ヤ(鳥類)、コ(哺乳類)、ト(ヒト)その生物としての進化過程を教えてくれるようです。  さらに、人間も受精してから胚芽のような細胞から生物進化の形を経てついには胎児となってこの世に出てきます。 (この一連の胎児の映像を映した写真がありますが、全て死んだはず。 人の知識欲は時に残酷。合掌。)

そしてさらに、世界各国の神話で言うように、人は樹から生まれた(国津神系を予感させる)、宇宙から来た(アフリカの未開と呼ばれる人たちにまだ伝承がある。 天津神系を予感させる)、土くれから作った(遺伝子操作を予感させる)、昔巨人族がいた。 龍と牛が戦った(人間前の世界の覇権争い?)というようにもっと勉強したい内容がたくさんあり、結局出自は実はいろいろかいなと思う余地もあります。 しかし世界各国の神話や伝承は多くのヒントを与えてくれます。

ある事業に参画を選ばれてこの世に出ると言う事になると、なかなか忙しいですが、これは神も仏も人間も動物も植物もまた鉱物と言ったものさえもある一定方向に、畏こみ畏こみ(時々反乱して)向いているわけであります。 そこで考えるのは、参画事業要員として練りに練る(人間形成)のが大きな目的かな、と思います。 (まずは資格を得る、ということです。ただし絶対評価。 相対評価はあり得ない。 差別相による邪見である。)
またここで肉体を持っていない存在もここでクローズアップするのであります。

まずはわざと忘れたのかどうかわかりませんが、実は自分は偉大なる存在に連なるものであるという自覚をして、この肉体でもって実現し、社会(古来、寂光土を作るというスローガン多し)を作り、ついに神の美に遭遇し(すでに神の呼び名は使えないかもしれない)、またそれを創造する役割を担うわけであります。
よって、まず自分が自分になるのが第一義となるのであり、そのあとの事業参画であり、だからその第一義にまい進するのが生命の本義であり方向性に合致していると言う事になるでしょう。 あくまで仮定からの論ですが。

そこで、じゃあ自分が自分になる道とはなにか、と言う事になるのですが、これこそヨーガ(神人合致)により、ひたすら”健康”(精神的、肉体的、そして霊的)を目指すわけであります。
『完全な禅』がそれを実現化させます。 西洋のreligion(宗教)という単語も元々の意味は、”神と結ぶ”であります。

さらに、この対象の本体は”霊体”であり、よりよき発展が手法のために”肉体”を持っているのであります。 ただし、肉体は汚いとか、捨てるべきものとかいう考えには激しくNOと私は言います。 愛車とか言うくせに何を言っているのだ、と言う事です。

また、人間形成とか自分が自分になる、そのために完全な禅、と言っていますが余りに目標が高く、それこそんなに苦労するならば、この世にでるんじゃあなかったと言うようになりますが、人生はもっと広く考えるべきであり、完全な禅を広く広く広げると人間の多くの活動が入ってきますが、これはまたあとで。 つまり、悟りを得たから、はい、終わり、ではなく、もっともっと多段に高度に且つ深度を持って進むべきであります。  また遊というものももっと考えて行く必要があるかと思います。 それは、『神人和楽』というように、神とペアで楽しく人生をすすむのも本道であるからです。

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