念は届くよどこまでも?

2019年8月22日

肉体を含め物質は分子、原子、素粒子、ひも・・・と小さくなって、その逆に大きい方を考えると、我々の住んでいる地球は全周が約3.85万キロメートルで、光が1秒で7周半まわります。 これをどう思うか、ですが意味づけは個々人でしょう。 日本列島が3000キロだから意外とあるようなないような感じです。 ジェット戦闘機御巡航速度ならば、マッハ2くらいらしいから、約2500km/h つまり、はしから端まで1時間10分ちょっとかかりますね。 (防衛は大丈夫か)

さて、それでは宇宙はどうでしょう。 宇宙卵とか考えていますが、銀河系の形を見ると当たらずとも遠からずと言う感じがします。  ちなみに、地球の姿や銀河の姿を見て、何らかの上位者を感じないものかな、と素直に思います。 唯物論の限界は目の前だ!
と、また脱線しそうですけど、地球から太陽まで光速で約8分。 太陽から一番外側の冥王星までが約60億キロメートルで、5.5時間くらい光でかかるそうです。 のぞみならもっと早いかどうか知りませんが。
そこで我々の太陽系は銀河系のひとつですが、銀河系の大きさは10万光年かかるようです。

さて、いろいろ考えてみると、面白いのは、この世で光という電磁波が一番速度があることになりますが、”思念”はどうでしょう。 考える土俵が違うかも知れませんが、我々の思念は10万光年先も瞬時にイメージできます。(行ったことがあれば。)

極小の世界では我々は電気的な存在であると言えますので、電気信号で行動したり、思考したり、存外なるも感情も電気信号であります。 恋愛さえも回路が開いて感情のスイッチが入りと、何のファンタジーもなく考えられます。
よって身体は電気信号回路が張り巡らされていると考えてもよく、ここからですが、各人が信号発信および受信装置でもあります。
電気的な存在ならば電気が流れると電磁界が必ず(100%)発生して電磁波が発生するのは物理原則ですので、我々が何か考えたり、感情を持ったりすると何らかの電磁波が出ていくのであります。
ただし、電磁波の強さや波形やその変調方式は各人が異なるのは、いろいろな放送局がいろんな番組を放送したり、来年ではアナログ方式のTVでは地デジ放送をみられなくなるイメージです。
(いろいろ言っておりますが、義務教育で習った内容の復習であります。)

ですから、うれしい事を考えている電磁波や悲しい、楽しい、怖いなどなど多くの電磁波が空中を飛び交っているのであります。 Hな桃色電波(てなものはないが)はたくさんあふれているでしょう。 これは生と性の密接な関係を示すに意味が大きいです。 生命礼讃。

そして受信機である事も同時でありますので、念を常に受けております。 人ごみが疲れるのはこのような現象もあるのでしょう。
また、発する念と言う電磁波は電気でいう電界と同じく、同じ性質が集まり、場をつくるのであります。 電磁波ができる過程で力が発生するのと同じでしょう。

そして遮られない限り、四方八方に念波が飛び出て自分と自分以外に影響を常に与えまた与えられているのであります。
実際には、憎い憎いとおもっている人のそばに居るより、慈愛に満ちた人のそばに居るのが気持ち良いのはこのように簡単な理屈でわかるようです。 (慈愛は生命を伸ばす、守るもの。 生命進化方向性故に、本能として集まる。)
それと、同じような感情、考え(周波数や変調方式と乗っている情報)は同じような内容で凝集するようです。 友は友を呼ぶは、極小の世界でも成り立つなり。

さらに、その電磁波と同じようなスピードと仮定すると、地球ならばどこにいてもその地球の裏側からの念もまさに瞬間に受ける可能性があります。 ただし、エネルギー的にどこまでが実際的な影響を当てるのかは研究が必要です。
よって、仮にこの考えがあっているとしたら、根本の神が、銀河の果てに鎮座ましますならば、現世では時間が全く足りませんから、100%コンタクトできませんね。 現実的には太陽系の神々は大丈夫そうだ。
(本当はそのような神にまみえる資格を自分に問うのが正解でしょうけど。)

さて、電磁波的な構造だけで人間の肉体と精神活動を考えましたけど、やはり量子力学がそれまでの科学を越えたか補てんしたというような意味でおいて、精神活動においては電磁波的な情報系以外に何らかの情報経路や網があるのではないか、という予測です。 しかし、明確な証明はまだ見つけていないのですが、”暗在系”と私が呼んでいる、通常の物理原則が適応しないようなというか別の体系で成り立つものがあるのではないかと思索しております。
と言うのもスポーツでも武道でもまたは実業でも、人間の電気的な法則でも証明できないような反応を見せることはたびたび聞いているわけであり、霊的な問題を考えると証明できない事が多く別体系を仮定しておいた方がすんなりと行くなというのが経験からの自論です。
上記の”思念”というのはそれにならないかな、と思っております。

支那の天台大師智顗は、”一念三千”という難しい哲理を、この念と言うか心の動きが大宇宙を含み且つそこにおいて自由に活動して影響しあう事を説かれております。 この哲理が後に日本をはじめ仏教界に影響を与えて大きな教理的な眼目になっているようです。 ただし非常に理解が困難内容になっております。

よって、このように念や心や精神活動の諸相は複雑ですが、敢えて上のようにまとめた次第です。