数学の魅力と宗教の関連性

2019年8月22日

昔から楽器がしっかりと出来る人、ギターでも、ピアノでも、カスタネットでもなんでもできる人は無条件で尊敬しております。 そしてもう一種類、数学ができる人です。 数学は苦手なんです。 中学校のときに躓いてそれっきりです。 試験の点は悪かったね。
そして微分、積分、三角関数なんぞ、どこの言葉だ、おれは頭が悪い!と悩んだものです。 それと永遠とか無限とか身ぶるいするくらい怖かったね。
そんな下地があって、数学についてのエピソードを集めた本を読んだのですが、これこそ本当の宗教とか真理を集めた、追究した極めてまじめというか邪気のない態度が素晴らしい、と思ったのです。 なんて言ったって、数学にのめりこんで何らかの成果を残しても、ちいいとも儲からない、とういうのは本物の証しだ。 人類総体の資産ということですね。

天才がきら星のごとく歴史上にいて、オイラーの定理のオイラーとか天才ガウス、フェルマーの定理でさんざん悩ませたフェルマーとか、考えていたら意識が遠くなりそうなくらい難しく、また眠くなりますが、数学で偉業を成し遂げた人は意外と専門家でなかったりするようです。 ガウスは煉瓦職人の息子です。 家庭環境として数学したいぜ、とは言いにくかったでしょうね。 それに対数を考案したネイピアと言う人は、スコットランドの城主様。 戦争がなければ時間的な余裕はあったのかもですが、研究をスタートしたのは44歳とのこと。 独学でこの対数を考えだし、その内容に感銘を受けた大学の教授との邂逅などなど”人間味”にあふれています。

この宇宙は数で出来ていると言ったのはピタゴラス。 無理数には焦ったようですけど。 自然数、無理数、虚数それに素数等々と発見されていくと、じつはそしてこの地球上に数学のあいまいさはない。 どの時代、地域、人種、国家においても数学は常に美しく、正しい、ということが分かったらしい。
そして、この世の面白いのは、たとえば白昼堂々と理由を探すのが難しい状態もあらわしております。 円は有限ですが、その円周は無理数でいくら増やしても正確な数字で表せないという矛盾も包含しております。 不思議ですよね。 それに無限は無限にあるということはこりゃ夢幻??
それとだれが見ても美しいと思う黄金比はある意味不思議。 なんで地球上のだれがみても心打たれるのでしょうかね。 それと白銀比というものもあるようですね。

そして、数学と相性の良いのは音楽。 すぐれた数学者はすぐれた音楽家のようです。オイラー音律とかケプラー音律なんぞあるようですね。 音は周波数で表されまたオクターブという尺度を使いますので、いろいろな尺度がとれるようです。 何にせよ音楽と数学は愛し合っているのかも。

それに0という概念はインド人が発見し、これを非常に誇っているようですね。 ちなみに1から無限大の数を足したらマイナス12分の1になると言ったのはインドの数学者であるラマヌジャンという人です。 じゃん、と言ったってなんじゃこりゃ!とほとんどの人は無視して、もしかしてすごいのかもと認めた学者もいたようですが、本人いわく、こりゃね、インドの女神さまから教えてもらったんです、と。 そりゃ人間業じゃないということです。

話は飛びますが、このように人類全体の理法というか真理と言ってよいものがあるので、喧嘩も起こりそうもないですが、人間は認められたいという欲求があるので喧嘩ばかりしています。 宗教とくに宗派の宗論なんてどちらも引けないのは分かりますが、醜いたらありゃしない。 さんざん話したら神仏にききゃあいいんですよ。

私は仏教が好きですが、本来は真理をもとめる修行者はこのような自然の理法を追及したはずです。よって尊敬をするのですね。 僧侶をいうものは霊的な問題も十二分に扱い、自然科学にも精通し、数学、美術等々、世の中の美を表す学問に精通しておるべきだとおもっているのですよ。 まあ、求めすぎは間違いないでしょうけど。
そうすると宗教間でおらが神様に比べてそっちの神様はどうだこうだ、というのも恥ずかしくなるのかもですね。 子供の喧嘩。

で、また戻るのですが、私が音楽と数学が不得意というのはこれはまずい、という結論でした。 嫌い、という意味ではないのでかすかに可能性があるという前向き思考ということで、今日のところはお開き。