高野山東京別院にて瞑想会

2019年8月22日

本日月に二回開かれる瞑想会に、東京高輪にある高野山東京別院にて参加してまいりました。
良い体験になりました。(二回が正しかったです。 http://www.musubidaishi.jp/class/index.html)

品川駅高輪口より徒歩20分弱で小高い丘のような場所にそこはありました。 別院という名称からビル群の間にある鉄筋コンクリート作りの寺院またはそのような建物かなと思いましたが、予想に反してかなり広いのと緑もちゃんと残っている。 ビル群がすぐそばにあると言う感じではないですね。 またこのあたりは住宅地もあるので都内だっけかな、と少々混乱してしまいます。

始まる15分前くらいに到着しましたが、もう30人位は参加者がいらっしゃいました。 男子6割というところか。 その後の説明でこのときはいらっしゃいませんでしたが、プリンスホテルに泊まっている外国人なんかもちょくちょく参加しているみたいです。 そこで、日本人と外国人の瞑想への取り組み方の比較があって、何しろ日本人は真面目だということみたいで、外国人(と言ってもいろいろでしょうが)は分からないとあっさり投げ捨てるらしく、実はこれが大事なんですよと。

9:30から初めて参加する人に対して待合室にて説明会が始まりました。 もう50人ていどはいらっしゃっているようでした。 名前も役職も考えたら名乗らずでしたが、とにかく弁舌巧みな御坊さんが事前説明で瞑想のポイントとその後の所作について指導がありました。 弁舌だけ聞いていると宗教家のイメージはないですね。 理論を大事にする学校の先生みたいな感じの説明でした。 神秘的な内容の話はゼロでしたから。

さて、その瞑想のポイントですが、ポカ~ン、とすることだと、但し寝ない。 今の人はあまりにも外部の刺激を下手すると24時間受けてそれが幸せ、または義務だと思っている節がありますね、キャラクターが歌ったり踊ったりして幸せな気分になるのは主催者側の理屈ですよと、なかなか鋭い事を仰る。 そして、ポカ~ンとしてそれで終わりでなくて、自分から観た外部の世界と自分から観た自分の内部の世界を見てみてくださいね、と唐突に核心に触れるような話があります。 そして瞑想で何が見えたとか分かったとかを軽々に判断せずに、経験をひたすら積んでくださいと。 それからでないとそれ以降は分からないようですね。 そして、密教は古き時代より綿々と伝えらており、もしかしたら危険性のある瞑想を危険でないようにしたメソッドと実績がありますからという頼もしいお話。 素直に諒解ですね。

さて実際の瞑想は本堂で行われるのですが、この本堂がとても広く天上も高く素晴らしい。 圧倒されます。 本尊は弘法大師。 両側に不動明王と愛染明王の威厳のある姿で守護されており、右左に胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の大きな絵が書いてあり、その示す真理に引き込まれるようです。 まさしく密教伽藍。 写真がありましたので見てもらうとイメージがわくと思います。(”弘法大師”の額のある内にて瞑想します。(初心者))

瞑想の前に、塗香をします。 少し知っていましたが、正式なのは、片手の人差指と親指でつまんで取り、半分づつ両手でつまみ、その半分筒を右は左の掌に、左は右の掌に塗り、そして手の甲まで伸ばします。 そして手を組んで胸の前に持っていき、左右に広げます。 そこで空間を自分の体全体に見立て全てに香を広げると観想します。
次に座り方の説明があり、足の構造からみた組み方やその前のマッサージやストレッチのしかた、お尻の座布団での位置の決め方などなど形についての指示がありました。 そして三種の印というか合掌の仕方の説明。 最後に三種の呼吸法を学びます。 ア~という声を出してその息吹を憶えて吐息に応用します。(自分なりのリズムをつかむ。)
そしてその後に仏様とその場に対しての挨拶の仕方、正座から頭の重さと身体の構造的に楽な立ち上がり方を学びました。

さてさて、そんな説明と事前の練習を終えると本番が開始です。 呼吸を大事に、姿勢を大事に、眼は鼻の先を見て半眼で、全体として無理をしないで素直に行う。 息が整うと身体が熱くなったり冷たくなったりするようです。そしてす~っと瞑想に入っていきますが、始まると何だかすぐに終わったように感じました。 そして終了の合図があって、終わった後はとてもスッキリとしています。

その後でお茶会があり、指導いただいたお坊さんから高野山とここ東京別院の関係や歴史、天皇家と高野山、他宗との関係、土地の明神様との関連話、サンスクリットからみた閼伽の話、などここでも学識があるな、という内容がすらすら出て感心しました。 それもそのはず、ここ東京別院はそもそも学僧の為の施設で勉強、研究するところと言うことです。 天皇にいきなり手紙を渡すフランクな人がいる事じゃこまりますね、と言うのも思わず失笑。
それと高野山の話で興味深かったのは、あそこの山は大きな岩板というか大きな岩でできていて、どうも皆のいろんな人たちの捨てた辛い、悲しい、苦しい想いを夜の内のその岩板が浄化しているんですと、また関西地方の空気清浄の役目も担っているらしいです。 時々それらの力が火花となってスパークしますからね、とさらっと仰る。

茶菓付きの御接待を受けて帰ったのですが。参加者はやや年配の方が多いですが、複数回いらっしゃる方も含めると約100名以上は参加者いらっしゃたようです。
しかし、このようなすごい環境にてまさしくプロの指導を無料で同好の方々と受けられるなんて、これは、なんと言ってよいか僥倖というか、無料で申し訳ない感じです。

機会があれば再度行ってみたいと思いました。 読むと仰々しいですが、マナーを守ればとても快適でしょう。 お寺が新しくなって、このような勉強会で物が無くなったことなんてないですよ、との事でしたし。 (強烈に罰があたりそうなんでそんな気は失せる。行くと分かります。)

それはさておき、やはり長い歴史を持った組織というか行法は無理がないみたいです。 最後に一番印象に残った説明は、本来人間にうまれただけで楽しくて仕方ないはずですよ。 そうじゃないのは社会とか経済とか皆の思いとか個人の勘違いとか何か問題があるはず、それをそのままにせずに瞑想が解決の一端を示すでしょう、との事でした。

人生は面白いはず、が真言密教の基本じゃないか、と勉強してきてうすうす感じていたので、ズバリ言われると力強いですね。