この世の仕組み

2019年8月22日

宇宙という言葉は、支那の古典である、”淮南子”からとっており、時間と空間を意味しています。 よって、いわゆる”宇宙”と言うときは、地球外時空間と言うのが正しいだろう。
尚、キリスト教でクルス(十字架)のまえで十字を切るのは、時と空間を意味しており、それはそれで意味があるでしょうね。

さて、宇宙のはじまりは今のところで諸説あるが、ビッグバンから始まったとか、いやそれだと赤色偏移が説明しきれないとかいう反論もありますが、どうも兎に角”初め”があったということです。
だから”終わり”がある、という論旨になりますが、まあ誰が決めたの?という感じもします。
じゃあどこから始まったのか、という事になりますが、それについてはわかない、と言うことろに落ち着いております。

それはそうと、いやそれはわからないけど兎に角有ったという説もあり、いきなり宗教ですが、大本では、亀が自分の尻尾をかじっている姿を宇宙と考え、宇宙卵のようなイメージを持っているようです。
ところで、インド人という人たちは時間の概念が希薄で、お経なんかでは計算するのが面倒臭すぎると言うように表現で仏の偉大さや法のありがたさを説いております。

さて、私の考えは、この宇宙卵、に近くて、ヒンズー教や日本の(支那によって変更されていない)神道にあるような考え方です。
つまり、このようです。

大いなる時間と空間をつかさどる真理法則の神々さえもその配下に置く、人間の意識がなかなか届きにくい”場”に有られます、陰陽の根源の太霊にして、名もなき形もなき、しかし同時にいかなる時空間と次元の異なる場においても限りなく名を持ち、いかなる形をも持つご存在がその無限な御力にて指向性を持たれた。 指向性は指向性として有ったがゆえに、我々を含めた全てがあるのです。 それはそれ自身で在った、という真理です。

そして、その指向性は”場”から発して時間と空間を生み、新しい”場”を作られたそれは道ともいえるものであった。 そして基本的なその場においては、運動相と静止相があり、全体は均衡しているが、指向性たる”意志”が発生して命というものが厳然たる法則の元に生まれたのであります。

言葉が多いですが、まだ説明しきれていないようです。

そして…唯一にして超数である太霊は複数の銀河系のそれぞれに、各銀河を司どるを全一になるものを置いた。 そしてその全一なるものは太霊の写像であり化身であるが、宇宙に命を咲かそうとした。 本当の理由はまだ分からないが、私が私と認識した瞬間に全部があったのである。 その全一なるものはその後出来た人間に、根源の神、などと呼ばれた。
しかし、その命を生み出すために、虚空の中にいわゆる”宇宙の元になる卵”を作り、みずからのその卵の中に入った。 ここで宇宙は有精卵になったのである。 それは一点に集中していた。
そして時が満ち、その卵から神は生まれ出でたのである。 そしてその神と呼ばれるものと同時にいろいろな命と呼ばれる活動相を持ったものが生まれた・・・

そして宇宙卵が宇宙となり、その殻が宇宙の”はて”となったのです。 しかしその殻の外にも宇宙卵があるのです。
そして、その宇宙卵には宇宙を存続させる栄養分がふんだんにあり、後に”空”と人間に呼ばれたのです。
そして宇宙卵の中の様々な存在は、層を作り出し、霊界とか人間界とか幽界とか地獄界とか呼ばれるようになったのである。  そしてその層の中にも様々な層が作られた。 これは主宰者になりたいという意識が写像の写像であるそれぞれに基本的な属性があったからである。

このように考えると、今の力学でいう、プラスの極性にはかならずマイナスの極性があり、そして意志によって何らかの活動があり、ついにはクォンタム・ジャンプとして物質がうまれる、となんとなく整合性も取れそうです。

こんなように宇宙の成り立ちを考えてみました。

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