地蔵大菩薩顕現

2019年8月22日

以前に書いたのですが、ある人の娘さんが大手術を受けるということで、自分に何か出来ないかな、と思い、せめて朝早く身を調えて真剣に神の加護を祈ろうと思いいたりました。 結果としては手術自体はうまく行って元気です。
そして、その時に現れたるは・・・

精神と肉体とその他で構成されている我々ですから、健康法があるように家庭医学があるように精神的な内容や慰撫したりまたは叱咤激励したりするものは必須だと思います。 そして、今だけすぴと呼ばれる精神世界の情報が出てきたわけではないはずです。
そして、神、仏、眷属、天使、聖人等々と言わる人間よりさらに霊格の高いか”力”が強い存在はその有様を、たとえば、光(色ありなし)、匂い、存在感、えもいわれぬ感動等々千差万別、その時々の感じる人間などの性質、考えなど条件で違うようです。
最近は、神仏、天使の姿がこう見える、とたくさんの本でなんどか見させてもらいましたが、なるほど受け取り方でイラストのように、風景画のように、またはアイドルのように見えるのだなあ…と驚いたり納得したりする発見をします。
しかしなんにせよ視えると、やはり感動も一入でして、まさしく光輝く御身を見た!という体験は誠にありがたいものでございます。

さて、このお祈りの際に顕現された場合は・・・
まず脳裏に浮かぶ浄闇の黒。 いずくともなく明かりを発する何かがこちらに向かってくる。 その光まさしく白光と金光を合わせたような精微な波をもった如何ともしがたき威光と慈愛をもつと瞬時に思わせる光也。 その光が迫る。 御姿だんだんと明かになる。 霊獣に乗る僧形の御姿。右には利剣をお持ちだ。 その御身は透明で体の中から発光しているとしか思えない奇霊なる霊光。 その霊獣も同じように白い光を放って神々しい、としか言えない。
この時には、”心配なし”とのお言葉をいただいたのですが、その”神”は自分の信仰する八幡様が、僧形八幡神として顕現されたと長いこと思っておりましたが、実は、その祈る相手の御守護の存在で、地蔵大菩薩様であったようです。 その霊獣はやはり、獅子、でした。 (神社の狛犬そのものでした。)
お地蔵様は働かれるときはまさしく大地のごとくどっしりとされているようですが、このような急ぎの場合は、霊獣を使われる、と言うのは最近知りました。
現実のこのように感じる不思議、人間界の近くで本当にご努力いただく様は誠にありがたく、先祖代代が信じた・感じた神、仏はやはり働いておいでである、と感動するものです。
このような話は、宗教と言うのとはまたちょっと違う理解も必要なようです。 そして、その感じ方はまさしく感じる人そのものによるのでしょうか。

大きな勘違いがありましたが、いやまさしく良い経験でした。 前の日記の訂正もかねて記すと言うことです。
しかしこう感じなければおかしいと、言う自体はおかしいと思います。 東洋風でも西洋風でもそれはそれで貴いと思います。 それに、 毎日素直に楽しくて仕方ない、なんだか感謝したくてしかない、生きる実感がふつふつと湧いてくる、と本気で感じて思い生活する人は神を見たといよりも、神と共にいると言う人でしょうね。

などとまた優等生発言でした。
しかし、守護厚ければ魔も強しの経験からも思い出します。

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