参拝後

2019年8月22日

6月に物部神社に行って、一区切りの6月が過ぎて、7月ももう七夕が近いようになりました。

変化、は何かといろいろ考えていますが、少しづつあらわれているようです。
額のチャクラも常に熱いようななんだか開いて来ているような感じです。 ”三つ目が通る”、みたいのはいやなのだけど・・とか思っている今日この頃です。

この前は、あまりにくたびれたのでクイックマッサージに行って(贅沢だな)、肩をもんでもらうとすぐにそのマッサージ師さんがその前日に行った場所や、風景が猛烈に浮かんできました。 その風景での行動や思索はその人にとって大事なもののようでした。
まあ、神社で神木に話しかけていた風景でしたしね。  なるほどという事でした。

それで昨日はある女性と話す機会があったのですが、世間話をしているとなんとなく、自動で言葉が途中から出てきて、(意識はしっかりしている。)、自分も聞いていたのですが、
内容はこんなこと、

女性は生まれた瞬間から幸せになれる道が必ずある。 それに対して男性は、自分たちが作った社会とか仕組みとかにがんじがらめで、面子とか地位とか名誉とかまたは金銭を追ってしまう傾向が非常につよい。 またそうせざるを得ないような社会経済構造である。 よって、幸せからは程遠い可能性も高い。

しかし、女性は、もししっかりと子供が産める環境にあって、夫たる男性があなたをしっかりと守るのならば、その男も幸せであり、なによりもあなたは必ず幸せである。 子供も当然幸せ。
たとえば幸せと健康は同じことであるが、健康と言うならば、赤ん坊を見よ。 何らの健康法もやらず本能のまま動く。 そして元気で、美しい。 特に母親への絶対の信頼があるため怖れがなく、心惑わす知識がないから腹が減ったくらいの不自由さである。

ところで、知識こそあなたを不幸のどん底に落とすものである。 しかし、それはもろ刃の剣であるから使い方によっては人類そのものの進歩と栄光につながる。 だからより今度は智慧の光を輝かす必要がある。それをしないと知識は非常に危険であると覚えておいた方がよい。 なぜならば、ついにはその知識の方向は、自らの存在の根源に至る疑問がわくであろうが、女性は理論を越えて行動できるのはそれを許されているし、偉大なるい根源の命から連綿とつながる命の連携者であれば、大いに誇るべしである・・・

というような内容でした。 なんでこんなことを言ってのかわかりませんが、概要は私もその通りと思いました。 たぶん結婚とかで悩んでいて自暴自棄気味になっていたのかな、またはひどく形而上学的なことに悩んでいたのかもですね。

それからいろいろな事情で子供がいらっしゃらない方々がダメ、とかいう意味ではありませんから決して誤解なきように。何事か偉大なる存在に代りて申します。  飽くまでもこの人へのお話でした。

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