宇宙人か? そしてヒト

2019年8月22日

”ポニョポニョ”のフレーズが頭から離れない今日この頃、ふと思ったことがあります。
やはり皆、宇宙人だな、と。
いわゆる世上に言う”宇宙人”とは、地球外生命体を指すように思います。

もともと”宇宙”なる言葉は結構昔から言われていて、確か中国の准南子にあるように、要するに”時間”と”空間”のある(支配するともいえる)世界のことを意味するようです。
昔々からわれわれは自分の意味と立場と存在理由を考えてきたことがこれだけでも分かります。
ならば、”宇宙人”というのは”時間”という次元と”空間(縦x横x高さ)”の次元の世界のなかで、その法則にしばられて(またはガイドされて)生きたり死んだりすることでしょうね。
以前マイミクさんの日記で、「次元と波動の説明がわかりにくいことが多い」と書いたのは、このあたりのことを考えていたからです。
次元はたぶんに数学的で、波動はたぶんに電子物理学的な言葉です。 これを心理学的に使うのは注意が要るな(無用とはぜんぜん思っていません)、と考えていました。

それはさておき、”宇宙”に戻ると、ある空間の一点を座標軸として存在活動を始めたヒトが、時間の力にて変化するこの世を何かの理由でもって存在を続けて、泣いたりわめいたり喜んだりしているわけですね。 よ~く考えると、空間の一点とは各人異なるでしょうが、そこからいかに拡大してこの世界を把握できるか理解できるかがその日とそのヒトの”心象風景”と言う訳です。 だからそれは”個性”とでも”妄想”とも”真理”とも言えるわけですね。 心に何が、どこまで写っているかということです。 これが宇宙人の可能性と限界でしょうか。

それに、”ヒト”を考えると、”日(具体的には太陽(神))”が創造したヒトは、ヒフミヨイムナヤコトと言われますが、これも”ヒ(霊、神)”が止めたものが”ヒト”であり、最初は石が”ヒト”であったり、時代が変わって、”昆虫”が”ヒト”であって、今の人間以外でも”ヒト”はいたわけみたいです、というかそういう考え方です。 これは、根源なる存在の創造の意志にかかわることでしょう。

ここで分かったことは、宇宙人の可能性と限界(法則ともいえる)と大いなる根本存在の芸術的(?)創造力にてわれわれは存在しているな、と言えるし、そして活動しているな、ということです。 ”ヒト”の意味、そしてそれにかかわるヒフミ祝詞というのは意味深長ですね。
そしてすべてのヒトは再起名詞”私自身”(セルフ)に"成る”わけです。
親が”ヒト”で止めたのに、”ヒト”はそれ以上の存在になろうと渇望しているようです。大きな夏休みの課題みたいなものでしょうか。

なんだかこんなことを考えている夏の日。 ああ理屈っぽいなあ。 でもたまにこういうことを考えたり文字にしないとストレスがたまるもので失礼。

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