光の摩尼宝珠

2019年8月22日

さてまたスピです。

ある勉強会、今後”L研究会”と呼びましょう、での指導方法の一つが、神の開運です。
さてどうやるかと、言うことですが、その一つが、光の摩尼宝珠というエネルギー体を神社やお寺や霊地(またはケガレ地)に入れる方法です。
龍の口から何百億個をだすという方法も工夫の一つとしてやっていましたね。 さてその”浄化”で自らの徳を積み、もって自らの開運の力とするという回りくどい方法です。

その摩尼宝珠というものはどこから、ということになりますが、大弁功徳天から頂いたというものです。 大弁功徳天は多くの功徳天、弁財天(弁才天)のトップであり、母性を持ち命を生かす、という存在と言うことです。 見えないから、ああそうですかとしか言えないのがつらいところですね。

そもそも摩尼宝珠ということ自体が仏教的であり、仏教で言うところの摩尼宝珠というのはいわゆる第三の目のところだとか、いやその自体が一つの仏尊であり、エネルギー体であり、龍王が持っているとか観音様がもっているとか言われます。 いわく、釈迦はそれを獲得するに際し、海の水をすべて飲んだとかいうのがジャータカにあります。 それほどありがたいもの、と言うことです。 ああ、いうならば”ドラゴンボール”ですな。

基本的な行法は、その摩尼宝珠たるエネルギー体を”神”として捉えて神社やお寺に”降ろします”。 まず空中にエネルギー体をイメージして大きく膨らまし、そのまま各場所に降ろすわけです。 降ろす時には大地を震わす真言というものを唱えます。
さて、ここからが応用問題。 その摩尼宝珠の神は人間もおろしてよく、サイズは小さくしますが。 さて、その摩尼宝珠の神(エネルギー体)に他の神や仏を降ろします。(入れます。) たとえば、病気の人には、摩尼宝珠の中に、薬師如来(時に大瑠璃光薬師如来)やスクナヒコの神の力を入れます。そしてその場合は、十字真言を唱えて入れます。
そしてなおかつ、その前に自分の体にいれてもらったククリ姫の神の力でそれらの複数の神の力を掛け合わせるという事を行います。

実際にやってみるとなんだか効果があったようななかったような感じです。
レイキよりだいぶ複雑でしょう。 余計な話ですが、レイキアチューメントの簡単さとお値段にはまいったね。
それはさておき、ちなみに神社はなんとなく明るくなったような感じや暖かくなった感じがしたものです。

こんなことを”霊的なボランティア”とか言ってL研究所のみんなとやっていたわけです。 数は非常に多くやったと思います。
皆さん気づくでしょう。 昨今のエネルギー技法とかに似ていることを。

しかし今考えてみると体調は良いとは言えなかったですね。 そんなに心も晴れなかったし。 そして一番いけないのは、”神は迷っている、弱っている”という概念です。 それは一部正しいのですが、大勘違いをする可能性があります。 責任感と実力がはるかに乖離している状態です。

この中でいろいろ言葉や事前メソッドがでて来ていますが、また書きましょう。

そして、これらが実際は自らの霊性を閉じて、神と言いながらも、もしかしたらその逆の者を体に取り込んだらだったらどうでしょう。 神が人間の祈りにこたえることはあっても従者では決してありません。 これらは理論では結局わからないので、自らの直観とか超感覚にたよるしかないです。 ないとしたら他の能力者に頼るしかないのです。 しかし途中で悪い奴につかまったら大変ですね。 (悪いやつ、とは悪魔とかの邪悪な存在も含みます。人間だけではないのです。)
しかし、そのように悪いものである、という確信をもっているのではありません。 あくまで可能性を言っているわけです。 (新興宗教ならば信仰が足りん、で片付けられるでしょう。)

ちなみに、上記のL研究会の方法は、今は変わっている可能性があります。(やっているかどうかも知りません。)

まあ、なんにせよとにかく私の昔話としてとらえていただければと。
ねっ、私は”ドスピ”だったでしょう。 今のドスピには負けんぞ!とか変な敵愾心が…(ないですけど)

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