美しい言葉は響く、具体性の勝利

2019年8月22日

どうも煙草の煙が嫌いで、隣で特にきつい煙草なんかを吸われた日には、頭の中で印を組み、三角壇を作り、古来よりのオドロオドロシイ呪術をするイメージがついつい起こります。 (冗談です、半分。)
人前で平気で煙草や麻薬を吸うは吐くわの人たちが平和とか友愛(?)とか言ってほしくない、と思う今日この頃です。

さて、理論で突っ走ってもそれは常に限界がありますが、と言って筋道立てた事を放棄することは、常にする失敗であり、よろしくありません。
といっても、日常生活でそんな堅苦しい事ばかり言っても仕方なく、たとえば母親を”自分を生んでくれた人間のメス”というのは論理的に正しですが、納得いかないはずです。 ここが問題でしょう。 感情部分を無視した物言いは、時に激しい憎しみや憎悪を生みます。 つまり人間は感情で判断して行動することが多いのであります。 私なんぞは本当に気をつけないと行けないのです。
感情を豊かにする生活こそ、人生を豊かにするのであります。 魂が揺さぶられる感動の数と深さで幸せは決まるのであります。 理論や倫理や真理といったものの理解と流説も尊いのですが、馬鹿なお前に教えてやるよ、とか言った態度や物言いは如何にその言葉が真理を示していてもなかなか受け取れないのであります。

言葉選びや、物腰や眼差しやと言った感情に訴えるものは総動員して相手に当たるべきであります。 またそうすれば相手もそうしてくれる確率は理屈から言って高まるでしょう。
感情が震える瞬間です。 そして、その態度にて何を話すか伝えるか、その真摯さや如何に自分を愛してくれるかと言ったやはり感情に訴えて放つ真理の言葉こそ、本物であります。
褒めるだけでも、
例えば、貴方は花のように美しい、と言うべきです。
貴方は海のように心がひろい、と言うべきです。
これは潜在意識教育でもあります。 具体性の勝利とはこれも指します。

人は褒めて褒めて褒めまくりくらいでないと基本的な精神属性である自己処罰感や有罪感が抜けません。 無くて七癖です。
自然霊(しばしば神)は、常に人間にあがめたてまつることを要求します。 それほど言うなら(信仰するなら)、いっちょやってやるか、の部分が特に人間に近しい存在にはあります。

では最高に褒めてもらうのはどうでしょうか、貴方神の子、仏性を持つ、であります。 それも丁寧に、貴方はあの白い蓮の花のようにとても美しい仏性をおもちであります。 そしてついには悟りを開いて仏陀と同じ境地に至ります、というある意味本当に褒めすぎでありますがやるのです。またこれこそが最短悟り道との事らしいです。 言われた人の反応はさまざまで、反発する人もいるし、思い切り勘違いするひともいるでしょう。 これが現世の醍醐味でもあります。

とはいえ、多数の人にとって、その美しい仏性を互いに拝むのが、ナマステであり、挨拶であります。 授記であり、四海の海を全て支配するという儀式であり、世界中に実はあるものであります。 これだけやられるとなかなか相手をけなすことは難しですね。 禽獣の世界からはおさらばですね。

このような感情や人としての態度や考え方や憐みや同情と言ったものが、仏教の諸派の内での浄土系の観教えである、というのが私の理解です。