気の毒だから。 そして霊体の考察
選挙も終わってまた自分モードというか、いろいろあってもこんな事ばかり書いております。
日々の霊的なアタックもすこし落ち着き気味であります。 かなりの霊団がより強い御守護をいただけられるようになってきたようで感謝に堪えません。 逆に言えばそれだけ厳しい状態でしょう。
そんなことで今までの事を考えるとついつい自分の安寧を考えてしまうのですが、よくあるように外で憑いてきたか、もともとこの場にいたのが現れたか意識に上ってきた憑いてきた霊体はこんな女の子でした。
おかっぱ頭の可愛い女の子です。 右手をのばして、大人でしょう、その人の手を握っています。 左手は所在なさげにぶらぶらしています。 着ているのは白い昔風のブラウスです。 でも埃りにまみれところどころ汚れています。 そして下はモンペのようなものをはいているはずです。 はずです、というのは脚がちぎれているからです。 空中にういているのですが、本人はきょとんとして時々左手の指か爪をかるく噛んだりしています。
こう言うイメージというかそばにいるんですが、おお、なんて気の毒だ。 たぶん戦争の犠牲者でしょう。 爆弾にやられたようです。 ちなみに私のような霊媒体質系の方はあちらの世界の方からはよく見えるようで、目指してこられるようです。
おじょうちゃん、何が欲しいのそれもとお祈りしましょうかと聞くと、お祈りしてほしいと、こくんとうなづきます。 横の大人の方はと聞くと、結構だと、たぶんこの子が成仏するまでの見守りのかたのようです。 じゃあ、お祈りするから待っててね、というとちょっとはにかんだように笑う。 これなんですよ、やるほうもなかなか厳しい時もあるが少しは役に立っているかな、それが妄想でも、と思うのです。 そして、お祈りが済むと、あれれ、足がすーっと戻ってきて、やはりモンペだったのですが、スリッパをはいていたのが分かりました。そしてほどなく天上に登って行きました。
よかった、よかった、です。
そんなことは、妄想?自分で創作している?そうかも知れませんね。でもビジョンは実体とは言いづらいし、網膜を等して電気信号としてみているこの世は実体でしょうかね。
それはそうとして、よく自分の現世の身体だけが、身体と思うと、霊体とかあの世とかさらに大きな霊界世界の階層というものが分からなくなります。 大乗仏教の須弥山を見ればイメージ満載です。
別途まとめたいですが、究極的には存在論ですが、この世に身体があるようにあの世でも身体があり、心もある。 魂と物心および、物と心という分類をちゃんとしないと、意識の進化と魂の進化という違いがごっちゃになってしまい、霊体がわからない、死んだらすべておわりとか、思ってしまうのです。
今回の女の子は心が素直だったからすんなりと上がれたようですが、わたしがいうようなことではないですが、同じように死んでも、恨みに恨み、憎み嫉みを積み重ねたような霊体(つまりそのような意識と感情を持っている存在)の場合ではそう簡単に移動(この世から霊界へ)は難しいでしょう。 対応するほうは大変だ。 下手すると死ぬかも知れないし。それくらい危険性もあるのです。 (たいてい自縛霊だから危ないところに行かないと大丈夫でしょうか。)
要するにこの世で、自己(真我;魂と意識レベル)と肉体と精神があるように、あの世でも肉体と精神と自己があるのです。 もとはあの世から来た魂が選んだ肉体と心が役目を終えて違う肉体、それはこの世のあり方でどのような肉体を霊体を持つかことなる、と考えれば分かりやすい。
そうだから、その過程がスムーズにいかないと、その詰まりの解消をお手伝いできる人(私もその末席の補助席)の活動が求められるのでしょう。
自己とか真我、神我、神、魂、意識レベル・・・心と体・・・とかの理解(誤解?)のもとに霊体がどうしたとか言っている理屈っぽいおっさんですが、こころはすぐに人がかわいそうという幼いものでした。 (と言う事が言いたかった?)
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