陰陽の法則とアニマ・アニムス

2019年8月22日

なんとなく書いてしまおふかと。

同性間の結婚が認められたとかちょっと前にありましたが、その時は、世も末じゃ、どれだけ狂うか・・・などじじむさいと言われる感想(今も基本は同じ)を持っていました。
もっと言えば、天地の理法に反していると。 それは同性愛者に関しても同じ。
なぜいけないの?とか真面目に聞かれてなかなか、天地の理法に反しているとはいいきれないでしょうか。

さて、先日、ある男性と仕事や個人的な話をしておりますと、こちらが困りごとの愚痴をぐじゅぐじゅ言っていますと(普段はこんなものさ)、ふんふんと聞いてくれています。そしてあることに気が付きました。
「あれ、この人今は女だ」 性的な意味でなくて、属性(優しい)として女の部分がつよく出ていると思いました。

この世に全ては陰陽の法則で出来ており、光と闇、左と右、マイナスとプラス、天と地、山○組と警察(違うか)・・・と例にはキリがないでしょう。 そして男と女もそのように言われています。 いわば男が陽(天)で女が陰(地)であると。
しかし思うには、そんな単純な話ではなくてまた陰陽をなりたたせているのは、神道で重視する”結び”の思想です。陰陽はついには一つになる、昇華する、結合するそして道教的には太一なる存在となりさらに陰陽が生まれる、と。

この大原則を是として、かんがえますと、別れくっつき、くっつきわかれしていますが、実は陰にも陽あり、陽にも陰あり。

男には女の部分があり、女には男の部分があるとは世上、理法でなにかとかいわなくても、経験上皆知っているようです。 だから、いくら男男しているに人にも女の部分があり、これだけ女らしくてか弱そうなのに、ひどく暴力的な男の部分がある。

人間”属性”でみられるので、男らしくとか女らしくいとか世間に求められ、自分も理由はさておきその要求にこたえようとするはずです。
しかし、本質的には男も女も逆の部分をもっており(その比率はさまざまでしょう)、それが現実ならば男は女の部分を満足させないと本当の喜び、幸せは来ないし、女も同じ。 ただし、世間的には女性により女性であれとか要望するように感じます。

そんなことで、男が好きで好きで、という男は、単純に男に女性を見つけてそれを求めていると思うわけです。
なぜか、それは周囲に理想の女性(心理学でいうところのアニマ)が見つけられないからではないかと思うからです。 女性の場合は、アニムスですよね。 白馬の王子様というも言うかも。

つまり同性愛とか言っているけれど、あくまでも、やはり男は女性をずっと求めているはずだ、と言うのが私の推論です。(陽は陰をもとめる、一つになるため、陽が陽であることを確認して祝福する為に。)

なお、このように陰陽の法則にはとんだ陥穽があると思います。 だから全ては陰陽、とかいう単純な話ではいつまでたっても初心者で、陰の中の陽、陽の中の陰、そしてその割合と属性および結合構造、といったところまで考えるといろ分かってくるようです。
まあ諸行無常でありますから。(そして諸行無常も諸行無常であります。ややこしい)

追記すると、人間は、肉体(物質の体と心)と霊体(の体と心)が神経体にて結合している結合体ですから、本体と憑依体が入れ替わる(人格が多層である。)場合もあるので、女性が○○組の組員か?というようなド迫力の物言いとかも経験したこともあり、これは驚いた。 まあ、これは憑依だけで、男属性が限りなく高い人格がまるで女女したほんとうにか弱いとしか思えない人に入ってきたのですから。
またそんな人と付き合っているとそれなりに影響されるので、そうかなと思うとその人のパートナーはまるで言葉は悪いが優男でした。
だから人間の場合はさらに面倒くさい。

まあこんなこともありました。(いろんな経験をするというかさせられるというか)

因みに昔の人は、仏教でいう、天地の全てを焼き尽くさんとする八部衆である阿修羅とは、実は観音の変化身であると考えたらしいです。
つまりあんなに慈悲に溢れ救済に救済を優しくしていただける方がなんと破壊を旨とする部分をお持ちではないか、ということです。
つまり神に反神と言った種みたいのがあるのでは、という恐ろしい分析ですね。
おお、くわばらくわばら。 (間違っていたら本当にすみません。)

要するに100%はあり得ないという結論です。