隣、良いですか?

2019年8月22日

今日コンビニの食事ができるスペースで、パソコンをたたきながらメールチェックをしてひと段落してパソコンを鞄にしまっていた時、”隣、よいですか?” と声がする。
見ると、ワンカップのお酒を持った男性の老人が私に尋ねていること分かる。

”ああ、どうぞどうぞ、空いてますから”と応じる私。

”酒もっていて、すみません。 お邪魔じゃなかったですかね”とまあ、カジュアルというか着古した服とジャージのようなズボンに身を包んでおられる。

”いや、別に大丈夫ですよ。おひとりですか?” と応じると、そこから、こんな話してすみませんけど、と断って諄々と身の上話が始まった。
曰く、若いころ子供ができたのでそのまま結婚したこと。 長距離トラックの運転手をやっていてまあまあ稼げており、最近まで運転していたと。 歳を聞くと75歳。 70くらいまで働いていたと。
しかし、70の時に離婚して財産とよべるものはすべてもと奥さんにわたして自分は年金でほぞぼそとやっていると話が続いた。

”ああ、そんなながく連れ添った方とえらく年齢を重ねて離婚されたのですね。さみしいでしょう。”

”ええ、やはりね、さみしいです。 でもね、”

”はい”

”この奥さんがギャンブルにはまり、月何10万単位でお金を渡していたんです。 そして、家事は一切にやりませんでした。もう何十年も同じです”

”ええ、家事一切やらない、ご飯は自分で作って、ということですか?”

”はい、そうです。 男は女を養ってナンボだ、と教えられて育ちましたから、それを実行していました。でもさすがに疑問がつもりにつもり、財産全部渡して別れてすっきりしました。”

”ふ~む。なるほど。 とはいえまだ寂しさはのこるのですかね。”

”はい、いまはこの酒があるから生きていけますが、なかったらもう居ません。”

”わたしもなんだか偉そうにもし映るかもしれませんが、ひどい状態でいきてきました。”

と自分の身の上話をしそうになりました。

”寂しい”としみじみ話す老人と話し、やはりなんだか思うに、全員寂しいのかな(自分も含めて)とつくづく思ったのでした。
実際に独身はやっぱり本当に寂しいですよ、 見えない人たちと自由に話がまだ出来るわけでもないし。 だから電話魔なんです。それはそうとして、

そして最後にそのかたから、”わたしのようなものの話を聞いてくれて本当にありがとうございました。”と拝まれました。  ああ、本当に人間はさみしいのだな。
”いやいや、お話をおききしてすこしお話をしただけですよ”を切り返す私。
そんなことでお店をあとにしました。

で~も! 私の場合、指導霊が人の口をかりて説教していただくことがあること思いだした。
そうだな、一発逆転をいつもねらっているし。 ちょっと前も2000万円馬券の3着を書き漏らして七転八倒したし。 地道にやれということかな、と反省行動を始めるのでした。