天海僧正の整備2 封印

2019年8月22日

前の日記で、天海僧正は天台密教であるから、最後は北斗七星の技云々と書いておりますが、後で気になって調べたらやはりその可能性がありました。

さて、日本三大怨霊と言えば、崇徳天皇、菅原道真公そして平将門と言われます。 それぞれ事情は、崇徳天皇は崇徳稜や白峰神社で神として祭られ、菅原道真さんは天神として広く祀られ、そして将門さんは神田明神で神として祭られているのですが、同時に強力な封印がかけられているとか。

それが、江戸に幕府をひらき江戸城を構築して江戸の街を造営するに心をくだいた将軍家の霊的な相談役であった、天海僧正です。

江戸の各方位に有力な寺社を置き、特に丑寅の位置ようするに鬼門には上野の寛永寺(あるいは浅草寺)ずっと伸ばして日光東照宮もその機能を持たせたようです。(位置はずれてはいるようですけど。) また裏鬼門には幕府の菩提寺でもある増上寺を置く。 そして続いて四隅を抑える。 いわゆる四神相応ということです。風水ですよね。

そして怨霊となったしまった将門さんには、神田明神の主神としてお祭りする。 これはパラダイムシフトというか、強力な怨霊となった、つまり祭る人にとって反対者でありますが、神として祭り上げるという手法です。 神となってはそうそうあしき影響は与えないでしょうという考えでしょう。

そして、これは異論もありますが、五色不動という、目赤、目黄、目黒、目白、目青という不動尊を祭るお寺をまた江戸に配置したようです。これで多重化した抑えを行う。

さらに、これも諸説ありますが、将門さんの首塚をも形にいれた、神田明神や各神社をポイントとしてそれらをつなぐとまさしく北斗七星の形となります。(加門七海さんの本に詳しい。)
これは天海が鬼門封じ(さまざまな禍々しい事の侵入を防ぐ)から天台密教の秘儀も使ったと言うことでしょう。 北斗七星は他の星を従えている中心の星、と言われて神格化されております。

このように寺社を中心にして守りを固めたのですが、寺社そのものの移動とかもあり、だんだん形(エネルギーの流れを利用する)の力どんどん削がれた由。 また明治政府も封印を断じるおうな施設や移動を繰り返した模様。 徳川なんか、と思ったんでしょうか。結果それでマガゴトを招き入れて後で大騒ぎで戻したとかいう話もあるようです。

しかし、将門さんについては、山手線も”鉄の輪の封印”ということで通る場所が決まったとか決まらなかったとかいう説もあります。 しかし興味深いですね。 どこまで封印はされるのか。

と、ここまで言っておいて、方位の考え方として中国発のものは、”匈奴”が大きくかかわっているようです。 つまり東北の方向から強烈な騎馬民族が中原(支那の中心部)を侵すので、東北=よろしくないものが入ってくる方向、という考え方や意識が広がったという説は説得力があります。
なら、いまいう鬼門は何、となります。 しかし、昔からこの方角はよろしくない、とずっと多くの人が思っていると集合意識でまさしくその通りになり、ふさわしい神霊や存在がおらっしゃる場所になるんでしょうね。 これは推論です。

しかし、霞が関のビル内の甲冑武者から始まっていろいろ広がります。

それとこの度は霊的防御のためにはお不動様の真言は唱えませんでした。 というのも、将門さんを討伐ということで成田山新勝寺で祈祷が行われ、主尊は不動明王であり、当然敵対してしまったと考えたからです。 だから五色不動、というのは密教の明王の主尊ではありますが、将門さんに対しては不動さんを置いたのかなと思うのです。
とはいいつつも、天皇家に結局弓引いたことになった将門さんの姿勢を徳川家も(こっそり)見習って、封印しつつも神田明神を作った、という経緯もあるかも知れませんね。
そんなだから、大人しされている甲冑武者に切りかかられてもたまりませんしね。 周りはさっぱり分からん人ばっかりでしたから。(分からないからやっていられるんだろうけど。)

北斗七星と天台密教の話もおもしろいがきりがないのでこのあたりで。