何だか、変わるのか・・・

2019年8月22日

ちょっと日本語としての正確性が危ういですが、今年になってからどうもですが、”変わる”という事を感じています。
いま、Don"t think, Feel の修行というか練習をやっているかそれとも勘違いか、どうも”変化”というのを言葉にしにくいですが、感じております。 個人的でも全体的にでもです。
以前、ちょっと例は悪いですけど、東北の海の神様が酷く苦しんでいる事を分かって伝えてほしい、との事件があり、日記に書きました。 あの時の風景は忘れられないですが、映画のセットのような風景なんですよ。 空も通りも、ビル街も、そのようにあらわすしかないいつもと物質的には同じだが感じる目の前の風景は酷い違和感。 そうですね、空間を構成する精妙極まりない”空間”の部品が一部ちょっととれたか狂ったかとでもいうか、の表現が精一杯。

そんな感じに最近なんだか似ているような感じがしてしょうがないです。いま、じゃなくて近い将来起こるような感じです。 天変地異の可能性は不明、うっすらと感じるのは偉大なるシステムの発動か意思が働くのでは、と言うことです。 まあ、怪しいスピ話と言えばそれまですけどね。 個人の感想ですから。 これを表すに、昔の人の言葉を使えば、”最後の審判”ですかね。 但し年末の、です。 未来永劫なんてことはない。
棚卸や決算を各人か必要な人が求められような感じです。 みなに起こらないから再現性がないとか言われたり逆にごまかせたりします。 さあ、どちらだ。 それとも見事な空振り三振!!  お薬だしときます、と言われるか。 やはり個人についての変化要望の線が一番強そう。

ところで100億円以上の契約金だって、野球錬金術。 嫌だねえ。 ならば、せめて会社作って無職の人雇用して欲しい、と強く思う。 ぜいたく品をさんざん買ったって一部の経済が動くだけ。影響少ないし意味があまりない。
こんな一方は餓死して、他方は贅沢三昧、仲間(いろんな人の事)を考えなくて構わないで平気で生きられるという不合理な世界の現れ。 こんなへんてこりんだから、神以上のシステム(なんて呼べばよいのでしょう)が働くと神様が嘆くわけよ。 神様に申し訳ないね。

空振り三振でいつものへんてこだけど、清濁併せのんで細かなこと気にしないで、まあ力強くいきればそれなりに魅力的かもしれない日常が続くのが良いのでしょうかね。 よく分かりません。