もう一回体験できるなら

2019年8月22日

ややきわどい内容の場所にあったのですが、質問が、「これで最後の日というとき、いままで過ごした一日と交換できるとしたら?」というものです、好きな女性に告白して良い返事をもらった時とか、難しい試験に通って有頂天になったとか、スポーツの大会で優勝した時とかいろいろ回答がありました。
そして、その中で、そう、その通りと思う返信がありました。 ちょっと長いですしアレンジをしていますが、

齢が小学生2、3年の年。 朝起きて元気に学校に行き、友達と授業を受け、その中で体育で思いっきりボールをけったりして汗を流し、給食で好きなおかずに喜び、休み時間ワイワイと友達と過ごす。 図工の時間なんか楽しいよ。
放課後にはやはり友達と暗くなるまで広場でいろんなことをして遊び、キャーキャー言いながら思いっきり楽しく過ごす。 夕方になり暗くなるまえに、家に帰ると、飼っている犬がそれはそれは自分の帰宅を体いっぱいに喜んでキャンキャンと嬉しい鳴き声を上げている。 相変わらずべろべろ顔をなめられるよ。
そして、家に入るとお母さんが、お帰りなさいと出迎えてくれる。
そしてお母さんがおいしい料理を作ってくれていて、好物がずらりと並ぶ。 何しろ自分の為家族の為に愛情いっぱい注いでくれてるのが本当に嬉しい。 そのころお父さんも、ただいまと言って帰ってきた。 おじいちゃん、おばあちゃんも一緒。 家族一緒に食べるのが嬉しいね。 お父さんもビールをグイと飲んで楽しそうだ。 今日も元気だな、いいぞとか言ってくれる。
そしておなかいっぱいになるとざんぶとお風呂に入ってすっきり。
ちょっとだけ宿題をして、大人向けの番組なんかみようとしていると、ダメダメはやくねなさいね、と言われてしまい、実は昼間よく遊んだものだからうつらうつらしてきて、そしてふかふかの布団に這うようにして行くとそこで思いっきり寝てしまうんだ・・・

よく考えてみると、昔こんなことは普通の光景でした。当たり前だと思っていたことが今となっては千金の価値を持っていたことを思い出します。 家族みな元気で実は形は違えどあふれんばかりの愛情をみな注いでくれる。 過去を楽しく価値あるものにする、それが嘘でも、という学説もありますが、なんにせよ人間、打算など一切なく愛し愛される時こそが一番の幸せ。 家族がみな仲良く過ごし、愛し愛されるということは煎じ詰めれば親の親のずっと前の親は神であるので、神々に愛されているのかもしれませんね。

だから賞をもらったり、人を蹴落とす競争でいくら一等賞になったり、大金持ちになって他人にちやほやされても本質のところで栓ないことです。 個人主義とはおおよそミスリードの思想ですね。 大人らしく、子供らしくして素直に生活できていた、という時代への憧憬です。

私も一日だけこのような日を恩寵をいただいてすごさせてもらえれば、いつ死んでも文句は一切言わないですね。 文句どころか感謝してもしたりませんから。