玄武なのかな? 服従、従順そして実は、努力
恒例というか、思い立ったら吉日!で、我が祖母の月命日でもあり、あなたはここに行きべき、というい八幡宮にお参りに行ってきました。
普段は静かなのですが、今日は宮参りでたくさんの赤ちゃんをつれた若い夫婦が多数参拝されていました。
・・・まあ、そんな光景にいろいろ考えながら、気を取り直してこちらもご挨拶を。 月も変わったし、主たる職場も変わったし。
こちらの神社は祓戸大神様が祭られておりますのでまず本殿に行く前に、ご挨拶。 ちゃんと祓詞を奏上しましたよ。
ご本殿には、赤ちゃんとそれを抱いた若い夫婦、元は若かっただろう老夫婦が見えて、まるで命の連鎖を見させていただいているようですね。
まあとにかく、本殿でご挨拶をすますと、いつものように大きな座りやすい岩の上に腰をかけてぼっ~として、でも全身センサー状態にシフト。 ここのあたりの調整がね。
時間が経つ・・・流れる・・・何もない、何もないのが当たり前・・・それがじつは奇跡・・・てな事を考えていると、突然神社の方が、壁になにか文字の書いてある大きな紙を貼っています。 見ていると、
”自然に服従し、境遇に従順であれ”
と書いてありました。 あきらめろということ? と一瞬思いましたが、横に小さな文字で解説がありました。現状を”ありのまま”によく認識して、今の境遇の作りぬしが自分であること、そして調和して且つ変革したいのならば、努力が必要なり。(一部当方の拡大解釈も含む)
とありました。 世上、”ありのまま”、は映画で大流行だし、そして自然に任せるも、耳に心地よい。 何もしないのが良いのだというのが、すぴ系でもよく言われます。 それはそれで案外正しくもある、人間の小智を笑う、かもしれませんがまあ、怠け者ですよね。
努力したことはすぐには実らないかもしれないが、現状無視の努力はちょいと待ったとも取れます。
なるほどねえ~、と感謝しつつ神社を後にすると、今度はきました、でっかい亀! おお、これは玄武さん?それとも勘違い? 何はともあれ大きなかめが私の脳内ビジョンに巨大に映ります。 それから上からエネルギーらしいものがずんずん降りてきました。 やはり努力だな、とか妙に感心したのでした。
そういえば、ちょっと前によくこの世界に引きずり込んだ(と本人が言っている)とか、まあ運命というか宿命でやっているだけとかいろいろ言っていますが、その方と電話したときに、
”・・・うん? 女の人が泣いている・・・”
相手の人が泣くような人ではないことは、断言できます(汗)なので、おかしいなと思っていると、見えます見えます、貞子さんみたいな、海か水辺で死んだかの若い女性。顔は見えずでもぐっしょり水にぬれて頭から水が滴り落ちます。 またか、とか申し訳ないけどおもうも、いやいやそんな事考えてはいけないと思いなおしできる事をするわけであります。
一通り終わると、水にぬれてべとっとしていた髪が、あらあら風にさーと流れて、その下の顔と言うと・・・ご祈念したのも関わらず・・・
でなくて
超美人がにこりと笑っておられる。 おお、ビューティフル!! 感謝の言葉はいらんよ、美しきお顔で十分!といかがなものかという感情丸出しの生臭坊主?
そして考えるのです。 子、親、その親、またまたその親・・・ こうやって無念に死んだ方、そして偉大なる力を持った神々、人々の役目と方向性、つまり努力(=楽しみ)の意味。 つまり大宇宙の調べ・・・
そんな事を考えた不動行者の祖母玄妙の命日の一日でした。
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