ではなぜそれをやっているのか?

2019年8月22日

ずっと皮膚病に悩まされており、いや憑依だ悪霊つきだ払わねば・・・とかつい”他人(他霊?)”のせいにしてしまいました。
ちょっとまてよ、とにかく1年半以上直らない湿疹がとくに脚にあります。ひどく痛いのではないので、しかたなくというか医者で処方してもらったステロイドを含む塗り薬をつけてすごしておりました。
でもはかばかしくない。
それで、あのサプリがよいとか、あの飲み物が効果抜群とか、宣伝というか記事にのせられて種々ためしますが決定打なし。

そんなことで悶々とすごしているも、勝手に瞑想とか(座って意識を変えると直ぐになる)すぐしているのですが、常に人々の幸せ、なんてぜんぜん意識に上りませんが、意識にのぼったのは、食生活です。
1年まえくらいから肉食をするとその牛でも豚でも屠殺される状況が頭に浮かぶという困った体質(霊質?)のようで、だんだん肉食がいやになりました。そりゃそうでしょう、見たくないですよね。 でも、おいしいお肉のためには、楽には殺されていない家畜の叫びがあります。ちなみにイスラムでは喉を最初に切り裂きます。理由は悲鳴が出ないためとか。。。

さて、そしてじゃあまったく食べなくなったのかというと、いろいろ考えないと旨いのは美味い。それは認めます。でも美味いからたべるのというのは視点が異なるl

さて皮膚病で悩んでいるのにこんな食事でも悩むわけですが、ある日を境にほとんど食べなくなりました。特に牛肉はまったく食べていません。もう半年くらいでしょうか。
こんなときビーガンと言う人たちの主張と食生活を知ることになりましたが、まあ日本の伝統的な食事です。ただし、ビーガンは肉も魚も卵も食べないのですが、わたしは魚はいただきますのでビーガンではありません。 肉を極力食べないということ。
ちなみに、ビーガンでWEB検索すると屠殺の場面が多く出る(特に海外のもの)作品が多いので気をつけて!

そして、歳をとると食生活も社会生活も、”おかしい!”と感じます。
母親も2月の初めに腎臓病が悪くなり、入院したのですが、透析しろと言われ、反発しましたが不承不承承諾したのですが、手術(シャント手術という血管の手術)の2日前に、急速に数値が改善したので透析はやめましょう。ただし心臓に不整脈があるのでナンテラ手術(忘れた)をしましょう。しないと死ぬかもしれません、と。

そこでふざけるな80過ぎたおばあちゃんを手術するとは余計に苦しませるじゃあないかとここで強く反発! でいま母親は家で普通に(寝たきりですけど)手術しないでも済んでいます。

ここで大切だと学んだのは、腎臓病も結局食事が偏ってというか悪かった(われわれ家族の責任)で心臓病も同じ。腎と心は相互密接関係だ。

そんなことで医者の言うこと聞いていたらどうなっていたやら。完全に医療不信です。
とはいえ、母親が入院時に、ひょんなことで知った言霊を母親に雨霰のように注いだものがあります。それは
「ありがとう」
です。最強言霊です。
腎臓、心臓に向かって、お役目ご苦労様、弱っているのに機能を果たしてくれて、ありがとう・・・と何百回でも唱えます。
これは効いたと思います。そして本当に感謝します。
他に、仏尊にも祈りました。ご支援があったように感じます。

それで学んだのは、結局食べたもので体が作られている。 一時の美味なる食品添加物とかおいしいといわれる多すぎる脂質とかなんとか、それこそ殺した動物の肉とか血とか体液とかでできている。いや一度分解しているとかがほんとうですがどうなんでしょうね、精神的には。

家族の重篤な病気も食事でなおり、じつは私の体調も(仕事の精神的ストレスが大きいのでスカッと治らないが)徐々に改善しています。

というようなことで過ごしておりますが、そんな時には思想がまとまるのでまた私とはなにかと言うことを考えてみたいです。

ところで幾らデモしようが、教育しようが、戦争しようが平和になかなかならない。それどころか戦争こそ平和の礎、なんて思想もあります。所詮思想ですからね。思想=思い込みか大嘘
シニカルばかりもいけないんで考え直すと、結局人類を覆うある意識は生活の不安(食べられないのではないかと罪を犯したのではないか)ということじゃあないでしょうか。そしてそのような思想をもったり行動をする”自分”とは何かに当たる。
私の好きな仏教では、無我と言う非常に誤解を受けやすい翻訳で存しているんですが、我=自己は実存が仏陀の真相だと薄皮がはがれるように分かりました。つまり人間構造というのは、身体としての肉体、身体としての心(物理的心、つまり頭脳活動)の二つが自性(プラクリティ)という物質原理であり、その原理のほかに自己という精神原理があります。
この自己が望むことを現世でおこなうことが生まれた意味、魂が震えることのような気がします。それは個人よってことなるのと人類総体としての共通原理もあるようです。

なお、般若心経はもともと、般若心・経で経は後付で、原語はパンニャパラミータフリダヤ、つまり般若波羅蜜多真言をとなるのが重要だということで、自性に合一するのが目的です。
この自性が空だと書いてあるのも興味深いですがそのあたりはまた。