愛と平和の悪魔たち
”ならば差し出すか、己の命を!?"
”われは真理を求めて来た。 聖語にて真理を聞けるならば、この命さしだん。”
”ふん、良い心がけだ。ならば、教えてやろう、この世の真実を”
”我、二言なし”
”この世は単に法則の基に営々と動いているだけだ。 ただそれだけだ、 それを色づけなり、価値をつけているのはお前も含めて、生命体である我々だ。 根本の神とはつまり、”力”である。 または、流れ、それ自身であり、お前らが死のうが生きようが何の感情も動きもしない・・・・感情などを根本存在に問いかけても意味は無し。 戦争を止めてくれといっても、それはお前たちの仕事である。
真理とは、変わらないものは無い、相互に依存関係ですべての要素が成り立っている、完成したうそ偽りのない世界は必ずある、この世は課題の連続である、生きているのに何も行動がないことがすなわち己の存在に何の意義も価値も認めない裏切り行為である。”
”そうか、わかった。よくぞ教えてくれた。 これで疑問は氷解した。 ならば約束通り、この命を、さあ、捧げよう・・・”
”まて、意義あるものよ、真理の探究者よ。 われはまだ半分しか述べておらぬ。 焦るな”
”その方は、神があるのは、つまり光があるのは我々闇の住人がいある、鬼・魔があればこそのわれわれが仰ぎ見る神がある、と言い切ったではないか。 そして兎に角真理と納得したものは貴殿の口からでた。 そして命を捧げよは約束だったではないか。 貴様は悪にして悪であるのはなかったのか。”
”我こそ、最高度の神に伺候し、この世のより真理を求めるものである。 命云々は己の決心を聞いただけである。 わが名を教えても今となっては栓なし。 そして見事に君はわが希望にこたえてくれた。”
”我に曇りなし。 真理のために死すはもとより本望。 ただし、迷いたるわが同胞とその混乱・腐敗した社会を見るは胸を引き裂かれそうである。 これは翻ってわが無力さを知るものでもある。”
”我は真理を説いた。 これはいわば”法則”である。 ではこの個人の心身から社会および宇宙を貫く無機質で何の熱もないもの、そうつまり”空”の状態で実は君たちは本来は何すするべきだったのだ。”
”確かに自らの疑問、狂おしいような真理探究の旅の終着地点を探していただけなのかもしれない。”
”じつはこの世で大切なことが二つある。 すでに何度も何度も耳にしているものである。 しかし正しく理解するのは真理の探究の厳しさのような真摯さが必要である。 また誤解しやすいし、体得というように全人格的に把握しているもの甚だすくなし。”
”それは?”
”それら、だが、『愛』と『平和』である。 原理原則から考えると、このようなものはまさしく空虚極まりなく感じるかもしれない。 しかし、あらゆるものを乗り越えたらこそわかる”愛”と、自らを全くに生かす道、そして日々の修行の本懐、それが”平和”である。 きわめて高度な文明なのである。
真理を理解することでしか本物はつかめぬ。 よって、君、誤解することなかれ。利用も容易い。すでに十分であるとか慢心すること無かれ・・・”
”それを力強く推進するのが、隠れたる第四の・・・でしょうか・・・?”
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愛と平和を考えました。 そんなことでつい書いてみました。
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