2019年8月22日

ふと”波”のことを考えてみました。
精神的な事とか科学的なこととかいろいろありますが、この”波”で考えると結構いろんなことが分かると思います。

曰く、バイオリズムとか、社会でも流行の波とか、経済にもコンドラチェフの波とかジュグラー循環とかキチン循環とかあります。 それに無線通信とか、光通信だって、波の変化で情報を送っています。基準となる振動(一定時間で同じ変化を繰り返す)に乗せたい情報なりを一緒にする(変調という)と、通信の出来上がりです。
これは人為的に波を利用しているのですが、自然の波、風も海の波もそう、はどのような意味合いの或る波なんでしょうか。 大体、電気的に考えると、私たちは全て電気に取らえられる存在ですよね。 一定の均衡状態からの変化が起こると、それにつれて均衡状態を保とうとする力が働き、元に戻るということを繰り返すわけです。 そして天地自然という何時始まったかも分からないし、何時終わるかも分からない波の中にいるともいえます。
そう言えば、最新の研究では”ひも理論”というのが有って、物質の元の元は”ひも”だ!ということで、そのヒモは何かが振動してヒモに成っているみたいです。 揺れるから貴方であり私である。 こころも身体も、社会も、宇宙も、これこそ諸行無常ということなのかと。

波を考えることの良いことは、我々が物事や心的な対象物を捕らえ認識し意味付けをする際には、どうしても一箇所なり一定の状態を精査することでその目的を果たそうとするわけですが、波は本質的に動的な認識を観測者に要求します。これが大切。これは観測者効果ということとつながり、観測者が居なければモノゴトは存在しないという面白い考え方の基本になっているのではないかと思います。 これこそ唯心、唯識であるなと思いました。

波のことを考えて仏教の教えとくっつけてなにやかにやと思考してみました。なんにせよ堅い話しだこと。
なんにせよ、いい波を捕まえないと、波につかまえられちゃうなと思う今日この頃です。  またなにかの波を起こしたいなと思うのでした。