あの世じゃあ冷たい!?
唐突なんですが、思想とか宗教とか特に新宗教であるスピ系の本を読んでいてふと気付いた事がありました。 多分とてもレベルの低い話ですが・・・
楽しかった、辛かった、欲求不満で終わった、常に不安だった、悪いことばかりだった、善行のつもりが偽善だった・・・と死ぬ間際に思ったりするようですけど、その死をうけいれるか心持がどうかでその後のなんというか道がきまるらしいですね、各書を読んでいくと。
しか~し、不思議な事あり。
死ぬ間際に死んだ家族や友人が迎えに来るとか、仏様や神様または天使が迎えるとか、いろいろあって、そのあとはお決まりで、”現世はつらかったけどあの世でお元気です。”という何にも支障なく良き環境にいけるとかのパターンがほとんとのようです。 疑問なのは、すっと極楽か天国かあの世の呼び名は違えど、さあ、死ぬ間際に、”さあ、辛かった人や迷える霊たちよ、私は大変ありがたいことに悪趣には落ちないようでございます。 よって、一緒に行くべきところに行きましょう”と殊勝なことは誰も考えないのかね。 せめて心中相手の事は考えてくれ、という感じです。 (例が悪いな。)
まあその際は余裕が無いんだろうとは推測できるが、でも無事あの世に行けた後に、何とかせめて子孫や親類縁者や友人とか導きたいという意向を伝えてくる存在がいるとかは、スピの世界では少ないのですかね。
とは言え、仕組みはわからないから仕方なしかも。 確かにチベットの死者の書を読んでいると、そんな余裕は全くない、というのはわかります。
とまあ、なんだかうまくまとまらないです。
現世万歳と行きたいですね!
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