覚心愛修息食浴動(創始者)
科学時代の仏教入門であります。 ”科学時代”とはちゃんと筋道立てて論理を大切にして、数学の如く理解できる教え・法を目指そう、という意味です。
やはり幸福を目指しますから、幸福の(仏教)ヨーガと言い換えられるでしょう。
自分のWEBサイト(http://www2.ocn.ne.jp/~ynmr/Hattoudo_html/index8.html)にも書いておりますが、私の師匠(と勝手に思っている節はありますが、その法灯を継ぐ方とは懇意です。)は飯島貫実という元日蓮宗の僧侶で、戦争反対の立場からアメリカに亡命。 結局日米戦争が起きてしまって、酷く苦労されてしまいましたが、ついに終戦。 ただし、トルーマンに直の抗議文を出して、原爆を落としてあなたはどう責任をとるのだ、という内容ですが、秘密警察の踏み込むを待ったという肝の据わったまた正義感にあふれた方でした。 ただし、アメリカからは逆に、率直な意見に感謝するという返信があったそうです。 相手も大したものかも。
尚、戦時中の強制収容所に入れられた時に深く仏教の勉強をし直したり、その後キリスト教の神学校に行かれたりして比較宗教学を学ばれて、各宗教のいいところ悪いところを研究されました。
なお、収容所時代に、鉄格子に猫と鳥がよく来ていたそうで、私の仏教(仏教ヨーガ)はこれらの動物に教わるところが多かった、と述懐されておったそうです。
それは精神と肉体は切っても切れない、まさしく紙(神)の裏表であるという絶対確信を得られたそうです。
その後、ヨーガという事で教室をアメリカに開かれて活動をされており、なかなか厳しい指導だったようですが、そこにはインドの大学学長(仏教を学びにきた)、”火の鳥”、”仏陀”を書いた手塚治虫、名前は伏せますが日本では高名なヨーガの指導者は多数来訪されたようです。 手塚治虫の”仏陀”は結構いろこく先生の影響がみえるように思えます。
日本へは数度来られて特に東京で指導をされていたようで、これもご縁なのでしょうか、私の現住所の近くにお弟子さんの家があって、何度も訪れておられたようです。
終世で3足しか靴を買わなかったし、講演をされて感動したお金持ちがかなりの額をお布施してもすべて弟子に分けたり教室において自分は必要分(交通費とか)以外はほとんど受け取らなかったという清貧であり、ちょっとこの点だけでも真似ができません。
個人の相談でも、一億円なかったらただで良い、というような方でしたので当然個人としては貧乏であったようです。(要するに受け取る気がない。)
その後多くの弟子を残されて道会という形で今に残っています。 ただし、初代があまりに偉かったので次を継ぐ人はなかなか大変ですね。
とにかくその教えを分かりやすく標題にしたのが標題の”覚心愛修(心)息食浴道(体”で人間丸ごと救おう、という理念と丁寧な理論を提示されております。
聞くところでは偉大なる大尊霊が指導されているのがどの霊能者にも見えていたそうです。 ただし霊的な話は理論中には入っていますが、そう多くはないです。
今日は先生の事を思い出しましたので書いてみました。
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