弓の達人
先日おもしろい話に接しました。
のちに弓の名人と呼ばれた紀昌がまず始めに行ったことは”目”の鍛練。 一切瞬きをしない、と目標に細君の操る機織り機が睫毛をかすめるのを見ること何と、2年。
ええ、という感じですが本人の努力もさることながら、奥さんの協力も大したものだ。
それから凝視する訓練をすること3年。 みたものは虱らしい、虱とは。
それはともかく、この5年の訓練で強靭的な目を手に入れた。
その結果、あらやるものが大きく見えるようになったので、弓矢は百発百中!
どうだ、てなものですが、なんと彼を上回る名人が西にいたそうな。 百発百中の上? とは、素手で弓矢を放ちて射落とす技。 それも見えない弓と見えない矢を持って空飛ぶ鳥を実際にい落としていたとか、いないとか。 要するに今流でいえばエア弓矢ですが、実際になにかしら飛んで行っているのが面白い。
こんなことが出来たらあなたなら誰を射落とします? なんてね。
彼女、彼氏のハート? ボーナス前の上司の採点ゆるくなるツボ?
それともゴ○ゴのように漫才するとか。(冗談)
件の紀昌ですが西にとどまること9年。 ついに超名人になったのではなくて、どうなったのか? 地元は彼の帰省に大フィーバー(古い)なるも、当人は弓矢を見て一言・・・
”これ何?”
当人は極々普通の精神状態、おかしいのではありません。これが最後の弓矢の境地であったということです。
この話を聞いて思うのは、禅の十牛図です。 空を悟ってそこからさあ、どうするの答えは、ごく普通の日常でした。 ただし、天然無為、自由自在ではありましたが。
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