真夜中の来訪者

2019年8月22日

もうここ数年は、大体仕事が終わるのが夜中の丑三つ時あたり。 それから寝るの生活が長く続いていますが、眼を閉じると、まあ来るは来るは、頭の中にくっきりと浮かぶのは、顔が半分とけたおんな、体が上半分だけすけて鱗がある怪物、犬なのか狐かわからない皮をまとった動物、ヌメヌメとした皮膚が妙に膨れ上がって魚みたいなもの、そして眼がすっぽり抜けている人間、頭が半分なく口から血を垂れ流している女、この前はシイタケを腐らせて毛羽立った小人とか、あるいは妙にきれいだが眼がつりあがり、口が確かにさけている人、血は青いな… いくらでも思い出せます。 フィクションじゃあありません。 面白いのはちゃんとした格好の人間はあまりでないし、一つとして同じようなものは現れません。
例外ということもないですが、この前は体中に矢を射られた落ち武者がすごい目をして迫ってきました、しかし他の魑魅魍魎や怪物たちとも同じようですが、全く恐怖を感じません。 これは不思議です。 また現れるとこは額のあたりに感じますが、白いライトがさしているみたいです。 顔の近くまでくるとすっと消えていきます。
何かをみな言っています、何かを訴えているようです。 しかし、歯がゆいかな、まだなんと言っているのかわかりません。
怪物たちの言い分が分かりませんが、なんだかうっすらと感じるのは、”我々もここにもかしこにもいる。 そして往々にして苦しんでいる。 われわれがこうなのはお前らの責任もある…”というようです。
抜苦与楽、といけば良いですが、まだどうしてよいか分かりません。 ただただ来訪を断らないでいるだけです。

あっ、こんなことを書いていますが、気は全く確かで安定していつも怒ったり、めそめそしたり、悔しがったり、落ち込んだり、もういっそ死にたいとか、あいつぶん殴ってやるとひどく人間らしい感情ですごしております。
ということで、怪物とは自分の心のストレスやトラウマだったりするかもしれません。 となるとなんて欲求不満だ。 それとも単純に心の病だったりして。
そうだったらお得意の言霊法を使うのだが。

それはそうと、東京は死んだ人に対して供養がなさすぎるのではないか…とちょっと思うところあります。 くわしくはまた。