唐突に法華経

2019年8月22日

サッダルマ・プンダリーカ・スートラ、妙法蓮華経のサンスクリット読みです。
人によると、これにナーム、南無、すると全仏教の教えが凝縮しているという解説もあります。

略して法華経についてなにかしら語ろうとすると、論争になることがあったり、強烈な信仰者もいますので、注意が要ります。 特に私のように知識欲から入って行っているものは、理屈ばかりこねるな、行動だ、行動!とよく言われます。

東京に出てきたころ、大都会がとにかく珍しくて、好きな本がたくさんあるということで、神田の本屋街はお気に入りの場所でした。 そして、その頃から宗教とか思想とかのコーナーに魅かれている私め。
平積みの本などをいろいろ立ち読み中ですが、どどど、と足音が聞こえます。 なんだ、なんだと思うと、数人の男性が。
「見よ! 大聖人様の真筆の写真があろうことがこの本に掲載されている!!」、おい、おい何だ、どうした? 「あっ、本当だ。なんだこれは!!」
そしてまた、どどど、と去っていきました。 あっけに取られた瞬間。 田舎からでてきた青年には驚きです。 そして、法華経の信仰者はなかなか他宗を認めたがらないとか、”念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊”というような言葉もありますから、なんだか怖いイメージです。
家は浄土真宗ですから、ぼろくそ言われて気分悪い、位が率直な感想です。 と言ってもそれほど深刻に考えていたのかと言われるとたぶんそうではないでしょう。
そして新興宗教というのは、あまり良い印象がなかったですが、それらの団体のイメージも重なりますます遠ざかるものになりました。

そう言えば昔バニークラブと言うことろに行って、バニー姿のお姉さんとへらへらしてお酒を飲んでいたら、なぜか宗教とか仏教のお経の話になり、法華経の話がでて、バニー姿で説教されたことがあったなあ。なんと言って良いかいまだに複雑な気分です。 お恥ずかしい。

しかし、自分が私淑していた方はもともと法華宗の僧侶であり、またそこからぬけてヨーガ行者になられました。 ヨーガに変更と言っても法華経の信仰がなくなったわけではありません。 しかし、科学時代の仏教という側面からの解説でしたので、その中の一つのお経とのイメージです。 なににせよ、どうもイメージが一度つくとなかなか抜けないものです。

悪霊なぞに悩まされると、仏教系ならば密教のお坊さんがお祓いを得意ですが、法華経への狂おしいまでの信頼と信仰を行う日蓮宗も霊力が高いです。
経緯となると天台宗からの分かれとなり、天台宗も独特の発展をしておりますが、なんにせよ日蓮宗の僧侶や行者の霊力は強い。
また加えていうと禅宗も強いですが、そのようなものは認めない、というスタンスなのであまり表に出さないようですね。 ちなみに、あるすでに亡くなった禅のお坊さんの名前を出しただけで、ある種の悪霊どもは飛んで逃げるそうな。

法華経そのものを読んでもなかなか分からない点が多いし、実は根本仏教を勉強しておかないと私のような素人には単なる唱える物となりそうです。 それではもったいないと思うのですが、幸運にも優れた解説本に昔から出会えましたので、次回その内容をなぜかまとめてみようと思っております。

(本人自身はどこの宗教団体にも、思想団体にも属しておりませんし法華経が一番すばらしいかどうかも分かりません。 まあ、そんな資格の無さそうな人間がまた素人の癖になにを・・・です。 だから”唐突に”です。)