ここから始まった
今までのため込んだ知識、思想、情報、経験吐き出す作業がなかなか進まずです。 が、そうは言ってもやろうと言う事で徐々に開始。
#ここから始まった
自我が目ざまめるというのはいつごろでしょうか。 私は私貴方はあなた。 味方か敵かという生存にかかわる区分から脱却して、その後好いてくれるかそうでないか、または憎んでいるとかの感情を持っているか、といったより思考部分や感情部分がおり重ねって人の心を形成します。
全ての経験やそれに対しての感情を全て覚えている、と教えてくれたのは唯識学でしたがこれは正しいようです。 また血圧や心臓の拍動といった生理的な情報も”覚えて”いるようです。 (最高度の調和→超能力の源泉か)
そんな中で、いまのように理屈っぽいというか疑問のネタが尽きないというか、その源泉はやはり”今なぜここに居るのか”という存在論と無限とか永遠とは何かといった形而上的な命題です。
また、小さいころには霊能が開いていましたからいろんな事が見えて、なぜ霊体(という言葉は知らなかったが)のままでこの世に出現するのかといった素朴な疑問です。
地獄を巡ったり、あの世に戻ったりしていたみたいです。 また死んだ人も始終見えていたみたいです。 ただし、この能力は個人差があるとは言え、誰でもあるものですの、これは普通の子でした、と言う意味です。
また、生存競争とかにも非常に疑問を持っており、いまだに覚えていますが、TVなんかで戦争ものをやると、なぜあの人たちは殺しあっているのか、殺す人も殺される人もお父さんもお母さんもいるだろうにと残念な気分になっていたのを思い出します。
しかしこのような形而上的な問題が次々に浮かぶというのは、幸せな事です。 食事も寝所もあるからこのような事を考え、また悩んでいるからです。
またこのような疑問は中学生ころになるとどうしても解けないことが分かり、また、だれに聞いても回答が無く、よって吐き気がするような感触と相まって何よりも恐怖で、それがために野球に打ち込んだり(勉強はなかったけど)、小学生から癖になっていた読経から仏教と言う大思想体系に大いに興味がわいてきたものです。
そして、不思議と夜空を見上げると少し楽になったみたいです。 そう、あそこから来たんだ、というなんとなく想いがあって、どんなに悩んでも帰る場所があるという感情です。
しかし、それは自分の中での対処療法かもしれません。
形而上的な問題になやみ、そうしているうちに勉強や進学、進路に悩んでいたり、現実の死と言うものに悩みまた恋愛や異性に悩み、肉食に悩みと言う事ごく一般的な悩みにたどりついたのです。
人間どこかしら唯我独尊なところがあり、自分の悩みは特別だと思う節があるのですが、こうしてまとめると”普通”の悩みですね。
しかし、このような悩みを解かないと気が済まないというか存在意義が知りたいというのはずっと続いて行くのでした。
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