覚心愛修、食息浴動と幸せ

2019年8月22日

宇宙だ、極小だ、無限だ、永遠だとか目に見えない通信系だいろいろ考えても現実の生活には直接関係ないようです。面倒くさいし、と思うでしょう。 これらはあまり追及するともしかしたらとんでもない絶望感に襲われます。

そこで、唐突ですが、人が幸せを得るためには、わがイノチの願いを満足させるを事が必要のように思います。
そこで、方法論です。 如何にして満足をするためにはどうしたらよいか、また暴走しがちな欲望の制御はどうしたらよいかです。 私がまなんだのは以下のようです。 (貴方が達成しているかとは聞きっこ無しで。 まあ、頭での知識です。 ちょっぴり実行もしてはおります。)

人生が暗い、苦しい、納得できないのは全て真理にくらいからであります。 その真理とはなにかですが、存在論とか死後どうとか生前どうとかはちょっと置いておいて、現実を直視するのであります。
その真理は、精神面と肉体面があります。 そして霊的な面もあるようです。
霊的な面はおいておいて、精神と肉体ではそれぞれ四つの真理があります。 以下はその概要の概要です。

精神面
・覚 ・・・ 真理に目覚める。 我神の子の自覚。 真理とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静であります。
・心 ・・・ 全ての事象は我らが心によって創られ、心によって感得される。心は大いなる創造者である。
・愛 ・・・ 命を生かす、守る、他者をいつくしむという親切行を行う。
・修 ・・・ いわゆる宗教的修行。とはいえ、これは自分に対する愛行である。

肉体面
・食 ・・・ 生き物の全体をなるべく生で食す。 生命素の取り込み。
・息 ・・・ 長い息(吐く、吸う)を行う。 調息でもある。
・浴 ・・・ 水を浴びる
・動 ・・・ 筋肉と皮膚を鍛える

それぞれはまた四つに分かれます。
そして、なぜこのような事をするのか? まずは神と結ぶためであります。 神と結ぶために精神と肉体を鍛え清め、ついには最高の調整でもって神の御前に参るのであります。
そして最高の禅ができた時に、いくつかの空間と時間の層を越えて彼岸に行くと言われます。彼岸に神がいるわけであります。
くたくたに疲れて悪食をして、血を濁し、筋肉を堅くし、なんの禅ぞ、また貪瞋癡で心が一杯、憎い、悔しいの心構えで何のヨーガぞ、ときつく言われます。

さらに、相乗の効果と言われるものがある意味”秘密”であり、肉体だけ、精神だけ調整してもそれらを同時に行う事に比べれば指数的な違いがある(大幅に異なる、たとえば可能と不可能のちがいくらい)との事です。 片翼では飛べぬが、両翼では飛べるの鳥のように、です。

さて、神と結んだ後に何をやるかが大事なのですが、この世を美しくする。 また自分とまずは周りの人を美しくするという事業が待っているようです。 そしてそれを維持または向上させると言ういわゆる修行。(すでに楽行であるはず。)
”美”は広いですから価値観とかもはいりますので、これは神と結んだら自分が自分になるので、バラエティに富んだ楽しい社会でしょう。 スピでいうワンワールドがおかしいのがここでも分かります。

さてこのように精神と肉体が相互に協力して、最高の幸せ(自分がこの宇宙に他にない自分であり、全ての創造者であるとしり、永遠の指導者に会いみまえ、この世というキャンバスに作品を作り上げる。)と言う事になります。
ただし、自分が自分なるとはいわゆる、”個性化”でありますので、現実の何をもって納得するものであるかは違うと思います。
そのひとつが、文化・文明と言った”型(生活様式)”になるのです。 よって、日本に生まれたからは強い縁でそうなったのですから、日本の美を追求すべきではないかとおもうのであります。

肉体と精神との相乗でしたが、ここでもしかしたら失敗するかもしれません。 完成させるにはその後ろにある意識体系、意義体系を同時に満足させよです。 ありていにいえば、明と暗を止揚して行くべきであります。
それは霊的な肉体(または精神)の重層構造を忘れる可能性があるからです。 これは表層意識と潜在意識の層構造を同時に満足させるという、人間業とは言えないかもしれない方法が必要になるだろう思えるからです。 これができれば間違いなく、神々の賞賛と大いなる指導があるはずです。
これが秘密の”4”と言う意味だと私は考えております。