男神と女神
夫婦別姓で触発されたのですが・・・
神や仏は性を超えているというようによく言われますが、日本でもどこもでどうもそうではないようです。 本邦では、性差の意味がやはり歴然としてあり、それは男神と女神としっかり分かれているようです。 本来社会においては、いい悪いはちょいとおいておいて、働きは違う場面がしばしばです。 それは得意と不得意があります。 また人間のやることだから失敗が必ずある。
だから平等ではないとか勘違いされますが、まるっきり悪平等だと感じます。
なぜか、それは本来名前も姿形もないはずの、神にまるで人間のように男とか女とか区分をしております。 これはしかし偉大な意味があるということ。 この世の中は陰陽の原理で、極大から極小まで成り立っているので、宇宙がその太陽からの最終形としての日止、つまり人にも男と女がいるわけです。
そして、ここがわが国の神ながらの道、仏の理法にも適うのですが、常に両方の神は助け合います。 時として、血に飢えたまた世界を滅ぼしたい女神が世界各地の神話に出るのに、日本ではほとんど出ない。 それらの荒れる神を男神が必死で抑圧するという図式です。
でも、わが国では例えば、神が神になる物語たる大国主命がスサオウの世界に行ってついには、宝物を持ち帰り、偉大なる神になって、それこそ修理固成を国土レベルで行うというお話でも、女神たる母親神は常に父親神にアドバイスを求め、父親神はそこに適切な理屈を述べて、母親神がそれを直観的に判断する、という感じにとれます。
このように、抑圧されない自由な発想を常に理でもって確認するという男と女のうまい役割分断はまさしく、この世の姿ではなかろうか、と思う次第であります。
しかし実際は女性原理が宇宙の根本であることは忘れていないです。
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