愛っていうやつは・・・

2019年8月22日

人様にすぐに影響されてしまいますが、マイミクさんが、愛について書かれていたので自分なりに復讐、じゃあなかった復習。

自分が学んだものからすると、愛の中身とは大きく四つに分かれる。

懺悔、報恩、自戒、愛施

であります。

懺悔とは、天地の間に生かされている己は、生存している限りいろんな欲などがあり必ず他に迷惑をかけている。 自分にとっての福寿がときとして他の人の何物かを奪ってのものかもしれない。 そしてつい憎まれ口を叩いて相手を傷つけたり、あの野郎と心のなかで怨んで凶悪な念波を発している可能性がある。
よって、このようなよろしくない行動にたいして懺悔するということは、自らの神性を落とさない、そして申し訳ないの気持ちを影響を与えた周囲に対して反省するという清らかな想いを発するまたは口にする。
古来、そうは言ってもついつい行う罪穢れに対して、六根清浄、といって常に懺悔する行法がありました。
そして特に懺悔しなければいけないのは、皆神の子の実相をもっているのに、その聖なる存在にたいして悪感情を持ってしまったということです。

報恩とは、お世話になっている自然、周囲の方々、ご存在等々に対してその愛恩を感じてそれに報いることであります。 具体的には、大いなるいなる恩を感じるべきは、山川草木・日月の大自然、そして国家、社会、親、先祖、神仏他守護存在、友人でありましょうか。 国士というと乱暴者という短絡思考の人がそれなりに多いですが、とんでもない、愛の行者であります。 仏教では、三宝と言ってねんごろに恩のありかを伝えております。 なんにせよ、恩を仇で返すなんてとんでもない話で、本来ならばそんな人の心はぐちゃぐちゃななはずでなんだか憐れんでしまいます。愛に、恩に報いるというのはきわめて気持ちの良いものです。

自戒とは、周囲に迷惑をかけないということ。 己の欲せざるところを他人に施すなかれ、です。懺悔は知らず知らずに犯すものへの反省が主体ですが、自戒とは自らの行動の結果を念頭において徒にまわり迷惑をかけないという内容。 戒律というとかたぐるしいですが矜持みたいなものでしょう。 兎に角、愛有る人にとかく見られがちな、いらぬお節介にはきをつけようと言うこと。

愛施とは、いわゆる愛と理解されているもの。その中身は、真理の施しの親切。身体の健康についての施し。他人の病気を治したりもそうで、自分の健康度を上げるのも自分への親切。 さらに、経済的物質的な施しも愛であります。 苦しむのはあなたにとって大事だからというほとんどが的外れなスピ系のぼけた御宣託とは違い、周りが苦しむのを見ていられないの熱情から迸るものです。 但し言うは易しは自らを省みて赤面ではあります。

愛、と言ったら以上だけでなく、たとえば神仏の愛、慈悲とか、アガペーなど、の捉え方も有りますが、やはり性愛が何て言ったって現実は一番かもしれない。 このためには努力を惜しむことはほとんど無い。 女性が化粧をしたり、ファッションに心血を注いだりするのは性愛のなせる技で、男性だって身体を鍛えたり、経済力をつけたいというのも性愛欲求が変化したもののように思える。 生存意義の確認と存続と快楽主義が人間の本能ということになりますよね。 仏教では、その最終段階と言われる(異論あり)無上タントラは性愛の大研究をして、陰陽合一の速やかにして完成形だと述べております。

しかし人間欲張りで、性愛だけでも満足できず、”真実の愛ってなに?”と問う相手を間違えて、へんな団体に入ったりして苦しんだりするものでもあるようです。

愛を追求するから愛に迷うのであります。 最後は、歌の文句か北斗の拳みたいだな。

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