とにかく幸せ…?

2019年8月22日

年が明けて、なんとなく周りが動き始めていますが、本人は、年が明けたらよいことが雪崩の如く起きるのだと他力信仰(?)の如く待ち焦がれております。(甘いな、相変わらず)

しかし、まだ昨年の強烈な霞が関の傷というかダメージがのこっておりそれを回復しつつのことらしい。 しかし2カ月で1年分のカリキュラムといいますか課題を耐えきったしやり切ったらしいですので反動もありますし、それは体重もドカッと減りますね。

さて、昨日のこと突然いらいらが募り、(その前から現実的なことで悩んでいましたけど)、もうどうしようもなくなって、約束が違う!と、一人で怒り狂っていました。 で、ものにあたったり(少しはやる)、裸で外に飛び出したり、大酒を飲んでひっくり返る、果ては街に出であたり構わず喧嘩をふっかける、などということはやりません。 しかし、神に向かって悪口雑言を吐くわけです。 いろいろと。 そして金輪際信仰なんてするか! 神棚なんてたたきつぶしたやる、などど思うわけです。(ちょっと口にする)
そして俺にもうかかわるな、おれもかかわらない、とか言い出してしまうわけです。 そして何十年かぶりに神棚に朝参らず。 思わずオードリーヘップバーンが修道女をやめて教会を去っていく映画の1シーンを思い出しました。(後付けですけど。)

普段偉そうなこと言っていますが、修行中の身はこんなもんです。

それで怒りが本当におさえきれなくなっていましたが、夜になり冷静さを取り戻すと、さすがにいけなかったと考え直す。 確かに思うところの原因があるしそれはそれで解決していないが、なんでこんなに怒っているのか不明だなと気付きます。

そして今日になって、親の入院先の病院から見舞いの帰り、また背中にやたらと大きなかたが乗っているのに気付き、歩くのがよれよれになります。 こんな場合は人間ではないので、ありゃ、そういうことかと気付きます。 それで、しかるべき対策をした次第。

その時に気付いたのですが、背中にのっているとかわかりやすいですが、普段こちらが気付かない場合、他の手段もとるのは知っています。 痛いとかですが、そんな否定的なことでなくて、”幸せいっぱい”な感情も含まれているのを発見。  というのも、突然に幸せいっぱいな気分になることがあります。 生きていて幸せ、やはり死んでなるもんか、とにもかくにも何だかうれしいな・・・と、この気分。 しかし、それがあなた、霊障なんですね。驚いちゃいますよ。 こんな逆転現象をおこすくらいだから当然人間ではないようです。 信じにくいでしょうけど。

そして、いま私に求められているのが、”平常心”または”不動心”と言えばよいか、とにかく惑わされないこと、なんです。 美しいとか醜いとか、悲しいとかうれしいとか、生きたいまたは死にたいなど、陰陽というか正負というか、さまざまな感情や思いが事に対して浮かびまたもちますが、それが自らの本当のものか、それとも他律的に起こったのか、そこを見極めなければいけないようです。  う~ん、なんだかレベルが一気に上がったぜ。 と、こういう風に気付けばひとつ前進みたいですね。

平常心とは嬉しいときも悲しいときもなにも感じなくなる、という意味ではないですので、如何に本物を捕まえているのか、という感じですね。 しかし、悪魔族の方々って、神様の形になったりするので(他もそうだけど)最後までちょっと自信がなかったね。

幸せ、をみんな探して生きているわけだけど、本当の幸せと幸せな気分は時にして乖離している時があるのですね。 こんな時に幸せな気分になるのはおかしい、他の原因があるはずだと探し始めるのが正解だったわけです。

でも、そんな気分なら味わってみたいでしょうかね? 幸せな気分がピンチのサイン、とはちょっと無粋な、かな??