それは般若心経の修行だっだのか

2019年8月22日

昔一時期やたらとたくさん般若心経を唱えました。 後で考えるとすべて意味があったもののようです。 当初は浄霊と実は自分の浄化が主としてです。 浄霊はまあわかったのですが、自分がこの経で綺麗になるというのが意味が分かりませんでした。

そして無謀にも般若心経の解釈を試みて、そこの時点でわかるものを自分のサイトに載せたりしています。 最近は、ニコ動にでも現代風の解釈がありました。 ちょっとびっくりな内容でしたけど。

そして、前回般若心経について、宮坂宥洪さんというかたの本を推薦させていただきました。
「真釈 般若心経」 (角川ソフィア文庫)

推薦した本は他の般若心経の解説書とかなり異なります。 そしてお読みになってこれは本物だ、と思ったら、そこからが本当に大変なのだと改めて思う次第。
自性空、般若波羅蜜多とは仏母・・・ 偉大なる大生命の原点に届かんとしたマントラであり、さらなる高みにいたろうとしたのだ!と感心するのであります。  だから、短くても強烈な効果があるでしょうね。 自性とはアートマンの事・・・ と、ありゃ、いわゆる仏教の基本ともしかして違っている?とか感じだすので。 スリランカの御坊さんなんてこのお経を酷評していますが、それもそれで違いますね、とか言えるのでした。

しかし漢訳のもっというと玄奘三蔵の訳をずっとみても解釈はおなじになりますが、宮坂さんにせよ空海にせよ、そして最初に教えてくれた飯島先生もみなさんサンスクリットの原典を調べています。(日本にあるのでみようと思えば見れたのです。考えたらすごい。 これは盗難などもってのほか)
迷ったら原典を。それで拍子抜けなんですが、鳩摩羅什の訳をみると、明呪 とはっきり書いてある。 あれ?てな感じです。

迷いまくっている私はどこの原典をみればよいのだろうか、帰って見るしかないか、などと思っております。 もう良いな。 プチ卒業かな、それなりに分かったし。

コメント