歌舞伎聚楽主
歌舞伎聚楽主とは、ようするにお笑い芸人の事のようです。 古いお経に書いてあります。
今彼らはとても人気があり、いわゆる売れている人達は、高低はあるでしょうが収入も時給1000円ということは決して無いでしょう。 またマスコミや通信技術、放送技術の高度化により彼らの活躍は広がるということなんでしょう。
しかし、この仏陀が話されたであろうバーり語で書かれた相応部経典に書かれたこの話は、生きている間に人々を楽しませたとか歌舞音曲で自分も楽しい時間を過ごした、ならば死後は楽しい天に生まれるのだろう、そうですよねお釈迦様、とある男が仏陀に問うことが書いてあります。
在家の信者にとって、悟りを開く阿羅漢が目標でなく、天(神々の国)に生まれる事が目標ですからむべなるかな。
なるほど他人を喜ばせるのは徳目のようであり、今を考えるとやたらとEnjoy Lifeと有る意味軽薄、有る意味自由で生きよう、生きて良いのだとまるで権利のようでもあります。
はたして目覚めた人の答えは?
返答なし!です。 無記(敢えて答えない、または答えない”沈黙”が答え) というか、そんな事聞くな、です。 いやいや、お釈迦様、そんな事仰らずに教えてくださいと、その男は3度尋ねたらしいです。 そりゃ大問題ですから。 そして仏の顔も三度まで?
分かった、それほど言うなら教えてやろう。 お前は、・・・、人を迷わせ、人を陶酔せしめ、放逸にした(やりたい放題にさせた、しかけた)のである。 よって、死後は”喜笑”という”地獄”に行くだろう。 出家でもない在家なのに?です。
仏教は地獄を教えないとかいいますが、原始経典では、死んだら、輪廻コースで天(神々の国)、人間界、地獄等で脱輪廻コースはそれらの上の世界に行く、但し行った後輪廻コースに行く事もある、(自由意思) と区分が結構明確です。 よって、本当の仏教は地獄をとかない、と言うのは違うようです。 多分気合いの入った矯正環境が必要なんだろうかなと思います。 慈悲深いと言えば慈悲深い。(かな)
意外ですが、特にお笑いにというもについてはそんな判断のようです。 戦後日本人を占領政策で3Sに耽溺させたとも言われますが、その一つの中にお笑いのようなものも入るのでしょう。 しかし、今となってはエンターティンメント業界を喜ぶのに一般的には後ろめたさは無いだろうし、私もそうです。
さらに、古代インドの感環境と今の日本なら日本の現状を単純比較はできないでしょうが、どうも歌舞音曲というのは、彼の国のなんとかPOPを喜ぶ年配の方々をみると、本質としてやはりどうなんだろうと思いもします。
お笑いの業界の方に何の恨みも無いですが、経典にはそうかいてあります。 でも全部無くなったらさみしいとは思う私はまだ迷悟の中にいるのでしょう。
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