脳とこころのありよう

2019年8月22日

小さいころと比べて大人になると、何事にも”慣れ”てしまい、または達観して、所詮そんなものよ、と思いがちです。 それは生きる希望や喜びや感動がどんどん薄れていってしまっているのでしょう。

さて、みなさん幸せを求めていると世情言われるものですが、意外やきびしい環境が好き、実は金持ち(になったこともないのに)よりも貧乏がよい、面倒くさくないからとかいうひともいるにはいる。
これは少数派だと思っていましたが、いやいや、たとえば東大とか京大とか一流大学を出たからみなさん仕事に成功したかということもないのであります。 賢すぎるといかんね、というたたき上げの社長もいる、なぜ? 考えすぎて行動ができないとか。

そんなことはさておき、ずっと貧乏して何千回の恥をかいてもよほどのおつむ足らないさんでも、なんでこがいに貧乏なんじゃ、という人もこれまた多いはず。 世の中ますます弱肉強食の様相を呈してきており、今の社会では失業はほとんど死刑かと思うような人も多いはず。 中高年、特に50歳代の人の自殺はみにつまされます。 弱い、といってあげるのはあまりに無慈悲。

とまあいろいろ考えているもんですから、貧乏な人は金持ちのそばに行けだの、思考が貧乏なのだ、金持ち回路をつくれとか、潜在意識にその元凶がある、これを変えないといけない、とかだの言ってる本人はどうなのかとつい聞いてしまいたいですが、心にあるものは色(物質)にでる、よってあなたの周りの環境はあなたのこころの写しである、はい、その通りだと思います。
また、苦しみは妄執から出る。これを制御すればその苦しみは朝日(って、あそこじゃなく)に照らされた霜のようにとけるであろうとかです。

なんにせよ、原理原則はその通りで、結局 H O W となると瞑想しろだの、ノートに私は金持ちだとかかけとかシンプルなものもあります、
心理的な行法についていろいろ勉強したりしたものですから、そのやりかたとしてはいかがな、つまり納得してないのに大丈夫かといつも疑問に思っております。 力技にみな見える。

そんなこんなで、ようするにたとえば貧乏を抜けたくて仕方ないですが、いつも中途でうまくいかなかったりします、なぜ?という問いに上記のようなことを散々聞きましたが、なにか足りない、と感じていたわけですね。

求めるときに時に神は祝福を与えられん、じゃあないですが、はた、と思った言葉を発見。

脳は現状維持を強く求める。変化を求めない。

です。 なんだかいろんなくすぶっていた足りないものが分かったよう。 脳とはここでは精神であり、肉体の心ということになります。 (霊体の心と体もありますからね。それに真我とか自性という難しい問題もある。)
こころのままに環境が整備されるならば、貧乏でこまった人はじつは貧乏状態を脳は好きで好きでたまらんわけだ、 金持ちが金持ちのままにあるのは脳がそれを好きだから。
わかりやすい。 で、想像主たる心にどう対応していくか、の道筋は各個人で細かくは違うでしょうが、基本構造は同じはずだから構築しやすくなったように感じます。

相変わらず抽象的です。