エネルギーの方程式から

2019年8月22日

あるひとの仏教講座というのをかるい気持ちで購読して、これは変だなと思うことは質問したら返事が返ってくるので、まあ良いかなと思っておりました。 が、やはり今後は有料だということ。
No pain(payment), no gain (truth/money??) 仏教でもなんでも宗教を切り売りすんなよな、とちょっとお冠の今日この頃。お金がかかるのはよ~く分かるけど。 なんだかなあ。
理論とか歴史とかなら全然良いとはおもいますけど、これを聞かないと生きている意味が分からないとかいう時点で、こりゃあかんのでは、の判断です。
わたしもやろうかな、とか思ってしまいます。

さて、前の日記のやりとりの中でスピリチュアル方程式とかいうのを自分で書きましたが、そのあと爆睡してしまいました。 ばらすなよ、と言うのか、ハイ、正解なのか判断に困りますけど、まあもう書いちゃったらか再度まとめの意味で書こうかなと。

物理学ではエネルギー(E)は光の速度の二乗に質量をかけたもので、数式ではE = mc2 とあらわされるようです。 光の速度は普遍(3 x 10 (8乗)m/s)だから結局エネルギーは質量に依る、ということに簡略化されます。何故二乗なのかとか、この方程式が相対性理論の帰結らしいとか、無から有が生まれる説明になるとか、特異点という難問を含んでいるとか、原爆の論理的な背景で日本人として複雑だ(わたしは少なくともそう)等など実際は難しい内容てんこ盛りですが、子供にぶつかれるよりも相撲取りにぶつかられた方が身体がふっとぶでしょう、だから相撲取りの方がエネルギーが大きいなあ、という話でとりあえず了解しときましょう。

さて、へっぽこな私の霊的な能力がどれだけあるのか、伸びたのかやはり落第しそうなのかよくわかりませんけど、今までの経験から、何故般若心経を有る人がある条件下で唱えると浄霊できて有る人が違う条件下または同じ条件下でもなんの効果もないのか。 効果がないどころかやられている(憑依されている)または、お前なんぞが手を出すなと逆にたしなめられている等々いろいろのようです。 実力と意識(良かれとおもっているのか、興味本位など異なる動機)の問題も含みます。
それで分かったのは、どうも神霊又は心霊的な力やエネルギーを得る為にはいろんな方法があるのでしょうが、特定の言葉の繰り返しが効果的と。 そしてその特定の言葉とは、ちちんぷいぷいからなんとか陀羅尼とかの長いもの、外国語やもうつかわない古い言葉でわからないもの、あるいは汝、キリストの御名において・・・と平文で相手に話す事などいろいろです。
そこで私の場合は日本的な実践且つ練習でしたので、おもに祝詞と真言並びに主たるは般若心経です。 特に般若心経は積算すると何千何万と唱えており、どうやら効果もそこそこあるようです。
じゃあ、効果があるなしは、と言うことに気づき教えてもらったのは、ある方程式、

”霊的なエネルギー効果” = Σ(”霊的な言霊のエネルギー = ”質” x ”回数”)

という単純なものです。 積算ということは経験値であらわされるものであり、これは(正しい)カルマであると言う意味でもあります。

回数はそれこそどれだけ唱えたのかで、専門の僧侶や神職にかなうはずもありません。(かなおうともおもっていない) ならば、質の問題です。
質、これは実はととも多くの要素を含んでいるようです。 これ自体に方程式が必要なもよう。

でも複雑すぎても仕方ないので、要因となる思いつくものを上げると、意識(何のためにやっているのか、納得しているかどうか)、正確さ(言葉通り)、意欲(感情の調整)、唱える動機付けの内容(簡単に言えば正なるか邪なるか)、時空の状態(清まっている空間と適切な時刻であるか) てなところでしょうかね。そして問題なのか、唱える人の資格というか清まり具合。これは大きいかな。 ただしこれらは私の経験上の結果です。
またはこの要素群は人間のさまざまが入っていますが、これらをすべて取り除いて、例えば浄土宗の人が、”ナンマンダ”と無心にして無心にそれこそ阿弥陀仏に任せきると言った忘我の状態も特筆すべきものです。 ただし、自分の事があくまでも主でしょう。
そして”神ながら”の深い精神状態もそうかもしれません。

そんなことでいろいろ考えられますが、最後は感覚と超感覚がモノをいう世界であるので、ぐたぐた理屈を考えても仕方ないとおもいます。
またアインシュタインの特異点の問題のような霊的なブラックホール、原初のその前に対しては、仏教は”空”という解を与えているようです。 これは深いので説明省略。

でもまあ、芸術作品を数値で表しにくいように、精神とか霊とかに関して”質”とか言ってもやはり難しいなと。 でも人間だからそれをなんとか表現してみたい思いに駆られるものなのです。