恐ろしき確率的世界からの脱却

2019年8月22日

神霊とかなんとかに関わると、いったい全体神や仏とはなんだろうと思います。
仏については昔からいろんな人が研究思索して、日本だけでなく源流インドネパールからアジア各地、中国等々に流布していますが、人間の研究対象ですので人間の言葉で概要は表されます。 私も多少の勉強をしております。
難しいことをおいておくと、日本の仏様はひたすら人間の希をかなえてあげる慈悲深い存在ですが、実際どうでしょうね。サービス良すぎです。申し訳ないです。

それに対して、日本の、といいますが八百万の神々は働きがあり、人間の成長は見守るが積極的に援助するのか良く分からなくなってきました。研究対象というにはなじまないと言うか・・・

世間ではお気軽な開運とか、何々神様と通じてハッピーになろう、とかあまりにイージー。とは言ってもそういう風に”神(かそれに似せた存在?)”とつながるというメソッドというか思い込みというか冗談というかが多くあります。大丈夫か?!と思わざるを得ません。

悪く言うのは、神や高級神霊にまねる、悪の程度が進めば進むほど、という実はとても強烈な存在がやたらといるからです。 自分の心持や霊魂がまっさらで穢れ無き悪と同調しようがないほど研ぎ澄まされていれば問題ないですが、今の物質的・精神的な世の中では難しかろう。だから心構えも大事で尚、守護神、霊がわかれば常に感謝ということでしょう。

ならば、そんなに面倒なら”神の意思とか都合”なんかしるか、となるかもですが、そうすると少なくとも物質世界において、数学的確率の世界になります。なにがおきるか神も知らず、です。一刻たりとも気が休まりません。
やはりこれはこまるなあ。

先日体調がひどく背中に何百キロという立方体の石みたいなものを置かれてしまいました。そして・・・ その続きはいえないですが、神はやはり不思議で仲良くさせてもらわないといけませんね。(嫌がらせなんかじゃあないですよ。)

日々ご修行らしい。

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