後ろにドスン・昔の縁

2019年8月22日

IT系の本を買おうとして池袋のジュンク堂(書籍探しに頼りにしている)に参りました。
長いことJoomlaというCMSを使っていますが、それ以外の市場を大きく取っているWordPressを今更ながら勉強しなくちゃ、ということで専門書を買いに行ったわけです。
尚、いくら経済的に苦しくても本は気前良く、買うんだなあ。。。

それはともかく、ITの書籍は適当なものを発見し、時間があったので久しぶりに精神世界の階に行ってみるかと思い歩を進めました。
さすがジュンク堂で多くの精神世界やスピや伝統宗教の本があります。最近龍神様が気になっていたので、その関連の本を中腰で読んでいたら、突然にだれかにぐいと背負っているリュックを引っ張られ床にころりと倒れました。怪我はありません。確かに物理的な感触あり。 あら、かっこ悪いと思い、そそくさとその場を離れたのですが、あれ!と思い直し、転んだ場所に行って見ると、ある本に眼にとまりました。そして、これは買わなくては、読まなくてはいけないと思い決断。早速購入して、一気に読了しました。

そこで分かったのは、書いてあるのは、昔ヨーガ系仏教の本に書かれていたことにあまりに似ていることです。 買った本はいわゆるスピ系で、アカデミックな香りとかはまったくしないですが、とても読みやすいです。

話題はひろく、世の中の仕組み(精神的、物理的、霊的各構造と動作・運用)から仕事、金銭や結婚などごく個人的なことが主たる内容です。
とくに筆者が観想で現れる宇宙・現世とまるでLANみたいな自分の意識がとどく範囲で精神的、肉体的動作の係わり合いの説明はすばらしいと思いました。

学んだヨーガはクンダリーニヨーガであり、ヨーガ(※)で澄み切らせた体と心と霊にて、悟った仏陀の観た”神”(表現不可能なほど尊い)をこそ信仰せよ、目指せ人としての最高度の次元、境涯…、と言うものでした。なかなか難しい内容が多かったです。

この宗教的理念はすばらしいのですが、いまの、みなが半分奴隷かと思う経済社会システムにおいては、現実の事象に埋没してしまうので、簡単に言えば、高い思想的境涯と毎日の生活の行動規範とのすりあわせが難しいのです。

このあたりを現実世界からのアプローチで論を展開していたのが買った本でした。

コロンと転がされて、お前、昔勉強したいたじゃあないか。そろそろ現実に生かせよ!という叱咤激励かいい加減気づけよ、と言うことか、と思っているしだいでした。

※ヨーガ
いろんなポーズをとるのは肉体行としてのアーサナということです。
全ての行法はやせる為でもなく、人間の身分で会える究極の神の前に一人立つために、肉体と精神を調え円満健康になるためになるもののようです。難しそうですね。でもこの世は最終的には愛の世界みたいですね。但し、最終的、ですから。それまで波乱万丈なんでしょう、誰も彼も。

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