混乱してる般若心経の解釈

スピ系動画とかブログの流行がか、また般若心経がはやっているようですが、どんだけ誤解しているのか悲惨、だと感じることが多々あります。
自分の理解が常に正しく、ほかは間違いだという気はないですが、明確に論旨矛盾、空想か誤解でしょうと思うものがあるのです。
一応突っ込まれても論理的に反論できます。

てなことで、よくある変な点を上げてみたいと思います。
なお、真言宗の僧侶で宮坂さんという方が、商業主義に流されて、空だ空だ、何事にも取らわれない心だ、といってると本が売れるとか講演が増える、つまりポピュリズムに流されて、儲かればいいじゃん、という世相に大層悲憤をされています。

私の般若心経の理解は何人かのかたのご指導(本の作者さんも含む)があってのものですが、この宮坂さんの説明が非常にロジカルです。空海さんの理解も基本同じです。

とまあ、前置きはこれくらいにしておいて、してきしたいところ

・原典はサンスクリット。 漢訳の際に尾題を付け加えている(”経”がそれ)
・マハーパンニャーパラミータフリダヤ が原語で特に、フリダヤの解釈が問題。これを心と訳したのが誤解の始まり。これは”真言”が正しい
・空が第一義的に重要な概念ではない、真言の繰り返し(ジャバという)をひたすら唱える、口に出してまたは心の中で
・この真言はギャテイギャテイギャテイハラギャテレイハラソウギャテイボディソワカ(サンスクリットならば、ガティガティパラーガティパラソウガティボディスバハー)の部分です。
・ここからが大事で解説文にほとんど書いてないが、漢訳の般若心経にあるように、自性見五蘊皆空とあるいように、五蘊(物質の単位)が空でなくて、自性が空とあります。ここ大事です。
・自性とは精神原理でインドの古い哲学であるサンキャー哲学が初発かどうかはやや疑問ですが、いずれにせよインドの昔からの哲学用語で、プラクリティで物質原理です。この原理には物質としての精神を内包しています。
これに対してプルシャが精神原理です。
・これらの区分においては、実在か常か無常かという難しい概念があります。
・横にずれたので戻ると、空とはあるともいえるし無いとも言えるし、つまり空(から)コップの中には水の無がある、という表現が適当かと思われます。無限小から無限大を内包しているようにも感じられます。
・てな感じでややこしいステップが本当は般若心経の理解が必要のようです。(こりゃ誤解するな、という感じもします。)
・それでジャバして何を求めるか、なんですが、般若です。パンニャパラミータです。
・自性と合一する必要があるのです。ジャバがそれを可能にします。
・そうすると最高の悟りを得て、次に涅槃に入ります。般若心経では涅槃は実存します。
・なお、玄奘三蔵さんの訳した般若心経がスタンダードですが三蔵法師さんより前に訳したクマラジュウさんは、摩可般若波羅蜜多大明呪経とあり、マントラ大事を示しています。そしてつまりは涅槃が目標です。ここは空海さんのおっしゃるとおり、心に何も障害がない自由自在の境地です。煩悩が吹き消された状態とは違います。

いろいろ考察していますが、無が大事とか言う意味とはかなり違うと思います。
前も考えたように、漢訳の276文字がすでに一個のものとして功徳なり、何らかの効果が上がるのは本当です。確かに万能であって、考えたらその解釈はどうなの、という方の読経でも験があるのはなんというか、という感じです。

まあ、幸せならばそれでよいのかもですが、作者の意図は正しく知りたいですね。

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